飯能市議選でトップ当選した石井健祐氏と環境保護運動

 飯能市議選の結果が判明しました。トップ当選は民主党公認の石井健祐氏です。2849票で飯能市議選の歴史上、最多得票を獲得しました。この石井氏は市議選では新人ですが、政治家としては歴戦の勇士です。62歳、私と同じ年齢です。
 かつて5回衆議院選挙に挑戦しましたが、国政への目的を果たせませんでした。故宮沢総理の秘書を勤め、自民党1回、無所属2回、自由連合2回と選挙母体は多様です。データからすると経歴は、家業が材木商、山林経営となっていますから資金的には裕福であったと見られますが、それよりも5回挑戦したという意欲と言うか情熱に感心してしまいます。最後の自由連合からの立候補が96年でした。
 1992年に出版した本の共著者として、上田清司埼玉県知事、五十嵐文彦衆議院議員らとともに名を連ねています。当時は、中央政界の人脈とその経歴から、この二人と同じように時代を担う政治家とされていたようです。今回、地方議員ながら議員として初めて当選されたので「政治への悲願を結実」(文化新聞)と言えるわけです。
 この石井氏の名前を、私は30年前に購入して読み、そして今読み返している本の中に出てくる人物として記憶していました。18日http://d.hatena.ne.jp/hideoyok/20090418に、「天覧山多峯主山の自然を守る会」と「天覧山付近の自然を守る会」―30年前の本から]という記事を書きました。
 この30年前の本『みどりの街と市民たち―市民が守った飯能の自然』の中で、石井氏はアメリカで勉強した若き消費者運動家として登場します。生活協同組合の通訳をしながら実際の消費者活動を飯能で行っていました。
 そして、昭和52年に結成された「天覧山付近の自然を守る会」の中心メンバーの一人として、西武による大規模開発に反対する運動を担ってきました。西武鉄道は当時、天覧山から多峯主山に至る全山間地及び宮沢湖の国道299側も住宅地として開発、現在のマミーマートの場所に新駅を建設する一大計画を推進していました。
 飯能市はこれを前提とする10万人都市建設構想を打ち立て、埼玉県に都市計画法の線引きの変更と用途地域変更の申請を行っていました。
 埼玉県はこれを根拠に、公聴会を開き既定の方針として推進することになっていました。これが突然発表され、飯能市民には寝耳に水でした。驚いた市民は反対運動を展開し、これの中心となったのが当時30代の石井氏ほか同年代の若い人たちでした。
 この運動は長い歴史とその後の継続があります。この運動を引き継いだのが、先の記事で書きましたが、埼玉県から今月表彰された「天覧山多峯主山の自然を守る会」(代表 浅野正敏氏)です。この連綿と続く環境保護活動のお陰で、天覧山から多峯主山に至る山地が守られました。この運動は、全国でも例の少ない開発反対・環境保護運動として市民運動の歴史に残るものだと思います。
 石井氏は30代の若き時に、市民に全く説明しないで事を進めようとした理不尽な県と市および都市計画法に敢然と異を唱え、そして市民の政治への関心を高めようとしました。当時のことを検証すると、現在も都市計画法の世界はそれほど変わっていません。このテーマは私にとっては大きな課題ですが、それは今は措いとくとして……。
 地域への私の関心を持たせてくれた本として大切にしてきた『みどりの街と市民たち―市民が守った飯能の自然』。この本の中に書かれた石井氏に関する記述の一部を紹介しました。地方政治家としての再登場で、年季の入った経験と知識を活かした活躍が期待できそうです。