今年もまた、原監督礼賛。来年も……

 箱根駅伝、青山学院2連覇
 昨日は途切れ途切れに見て、今日は特集番組を見た。中継放送は日本TVだったが、特集番組も日テレだけ。箱根駅伝は読売、日本テレビ独占のイベントであることが分かります。
 「スッキリ」に出演した選手のインタビューを見て、神野選手の会話表現力が昨年よりアップした感じがあります。そう思っていたら、監督が出したモットーが「言葉の力 目的・半歩先」。

 大学マラソンの監督が、選手に「言葉の力」を求めることが、普通ではあり得ない。おそらく触れる範囲はフィジカルな面だけではないか。原監督の真骨頂、偉大さはここにありと、昨年も同じような観点から書いたような気がするが、大いに賞賛したい。
 「言葉の力」は、学生全体にに対して、教育全体に対して、人間全体に対して、社会全体に対して求められる力です。最近は、それが軽んじられ、大学の教員はその役割を果たさず、宰相の言葉にも重みを感じられない。
 それを小さな組織で実践して、体力・精神力・人間力の向上によって、走る能力の向上に実らせている。今までにない教育のパラダイム転換の可能性を見ることができます。
 もう一つは「目的・半歩先」。これは、毎日の実践と努力の積み重ねを言っているのだが、その目標管理を組織的に全員一律で縛るのではなく、各個人で行う。そこから個人の自由な発想と工夫が生まれ、体幹重視のしなやかな身体づくりに、いわゆる体育会系ではない自由な精神力が下支えする。
 読売編集委員の「自由とたがを締める関係は?」と聞かれて、監督は「それは心配ない、10年の積み重ねで、組織にも個人にも自由と規律のバランスが行き渡っている」と応えた。
 多分に私の推測的物言いもあるのだが、そう的外れではないと思います。果たして3連覇はあるのか。私もまた、来年、原語録の勝手な賞賛論評ができるだろうか。楽しみです。

(写真はいずれも、日本テレビ「スッキリ」の画面)

水は正直

 田んぼ、昨年は隣の田んぼも作りました。前作者が余りの泥田にあきらめて1年で撤退した後を受けての仕事だ。堀の右側がそれ。一番上にまだ稲が残ってます。稲刈りの年越しは初めてです。もともと11月に実る超晩生のイネなのだが、水が引かず刈り取り機を入れることができず、他の所も手刈りをしているうちに31日となってしまったという訳です。
 それにしても、田んぼが乾かない。隣の田んぼの奥さんがトラクター跡の手直しにきたので、話し込みました。意見は一致、数年前から水の流れが変わってきた、ということです。奥の森が伐採されて、地下水の流れが変わったようです。新しい湧き水の噴出が入水コンクリート水路の下から何カ所かある。
 また大雨が降ると、上の田んぼの転用農地からの排水がどっときて、入水路の容量を超えるので田んぼに溢れてくる。転用耕作地は、某牧場が県を仲介に借りてトウモロコシを作っている。山の伐採地からそこに流れる排水を逃がすために、田んぼ専用の入水路に“寸止め”でユンボによる排水路をつくった。
 いやはやである。水は正直だ。自分の所だけは、と闇雲に排水を逃がせば低い所に影響が出る。自分の商売優先で、自然のルールや昔からのルールを軽視する例を目にすることも多くなった。

 2列田んぼの真ん中にある水路。百数十メートルを少しずつ掘り下げていく。10から⒖センチ溜まった泥をすくい上げ、畦に平らに盛っていく。とにかく溜まった水を逃がさなければならない。でかいドジョウがニョロッといくつも出て来る。寒くなってじっとしている所を申し訳ない。

今年は……

 平成28年、2016年、今年は70歳、前期高齢者の後半に入る。
 母親は今年100歳、介護認定1、特養の対象ではない。歩けなくても頭はしっかりしていれば、最近の介護認定の判定のレベルは低くなり、自宅介護の対象となる。介護の悩みはいろいろあるが、痴ほうにならないのは子としては有り難い。農作業との折り合いをうまくつけること、今年の課題です。
 所用で近くに出た際、回り道をした。巾着田です。
 天神橋から上流方向の魚道。バンソウコウで貼ったかのような大きな傷跡。高々2メートルの高さの落差を解消するためと称しての税金の無駄遣いです。土水路の勾配調整と多自然護岸による強化で済んだはずなのに。

 天神橋から下流方向。河川行政史上、環境行政史上、まれに見る破壊の愚策が始まる。コンクリート遊歩道です。あれほど批判があった巾着田都市公園化と川の人工化を、最も高麗川らしい自然が残る下流に拡大するつもりらしい。趣旨も定まらない事業計画によるコンクリート遊歩道で、何が何でも市民を河川敷に誘導して坂戸まで連れていきたいらしい。何を考えているんだか、嘆かわしい、としか言えません。次は遊歩道沿いに曼珠沙華、とくるのかもしれない。

 

高麗川コンクリート遊歩道反対のHP開設

 昨年11月に「高麗川コンクリート遊歩道に反対し計画再考を求める会」を有志と発足させ、12月3日に県知事と県土整備部水辺再生課、飯能県土整備事務所、日高市の4カ所に要望書を届けました。
 その後、文化新聞に記事が掲載され、事実は少し伝わったようです。しかし、詳しい内容を伝えるには、やはりHPが必用と思い、構成と編集を急いで行い何とか31日にアップ。
 高麗川まるごと再生プロジェクトによるコンクリート遊歩道の工事着工に関して、広報ひだかの1月号とHPに記事が掲載された。8年間の川の再生事業に関して、実に、これが最初の記事。それがいきなり工事着手だ。この意味は大きい。高麗川コンクリート遊歩道問題は、新ブログで書いていきます。
 http://komagawaseiryu.hatenablog.jp/

地方議員の給料は高いか、テレビ討論

さあて寝ようかな、とテレビを消そうと思って、チャンネルをピッ、ピッ、ピッ。
サッと消してしまえばいいのだが、これがいけない。何をやっているかを見るのが。
ン、「地方議員の給料は高いか」。確かこんなタイトルだったと思う。
地方議員が何人かと市長等が出席しての対論です。
「高い派」は、地方議員1人と河村名古屋市長、東国原元宮崎県知事、毒舌のテレビ芸人など。
「高くない派」は地方議員3人か4人。
以下は、記憶に残った発言と私の突っ込み的コメント。
「高い派」から出た「年間何日くらい働いているのか」という問い。
これに対し、1人の議員の答え。
「365日」。
横山コメント「何をぼけたことを言っているのか。制度と自分の願望も仕分けできない発言。まじめそうな議員だけれども、これでは市政に通用しないね」
「高い派」の議員の「議員活動はボランティアでいい。議員活動は市民のボランティアと同じレベルで。(趣旨ははっきりしなかったが、報酬に関して言っているので、現状は高いのでボランティアレベルにすべき、という意味だと思う)」
これに対し、「高くない派」の女性議員の発言。例の東京都議会でのセクハラ野次で涙を流した議員です。
「ボランティアでもいいが、国民の政治意識がそこまで行っていないので無理」
私のコメント「国民の政治意識を言う前に、あなたの政治意識はどうなんだ。地方議会議員としての見識無きトンチンカンな発言。これも制度や仕組みの基礎知識がないことを証明している」
「高くない派」もう1人の議員の発言。
自分の報酬明細の拡大ボードを見せながら、「これは本邦初公開。いろいろと引かれてこれだけの額になる。ここから秘書の給与なども出さなければならない」。
毒舌芸人「何が秘書なんだ。コンピュータにやらせろ」
横山コメント「まったく、秘書と聞いてあきれるよ。論外! 何が本邦初公開なのか、議員の給与はいの一番に公開すべきでしょうが。地方議員の何たるかがちっとも分かっていない典型だ」
ボランティア発言をした「高い派」議員も同じ。市民受けを狙う気持ちがどこかにあるのかも知れない。それは分からないが、意識はともかく、この議員も制度・仕組みと自分の願望を仕分けできない点では「高くない派」と同じ。ボランティアでできっこないでしょう。その精神を発揮させる制度・方法が何なのか、具体的に提案できないで意識強調では、「高い派」と何も変わるところない。
河村市長は、私の聞いた時間では、もっぱら、世襲議員の問題を取り上げていました。河村氏は名古屋市議会と鋭く対決してきた人、地方議会の後れを最も良く知っていると思われます。が、自分の支持基盤をつくろうと議員を糾合して失敗、知識も見識もない議員を集めて市民の批判を浴びたことは、もう過去のことになってしまった。
テレビに出て来る議員のレベルがこんなもの。地方議会は大体、同じような世界で、住民はほとんど地方議会の内情を知りもしないし関心も示しません。
議会の方は、少しずつ小出しにしながら公開をしても、住民が関心を示さないことをよく知っています。チラリと見せながら、核心をはずしていくのが地方議会運営の要諦なのかもしれません。実際に、そうなっています。

キンラン、ギンランで早朝の会話

ラジオ体操の後、キンラン、ギンランの観察が朝の日課となりました。
今朝、新たに発見。竹の目印が何本かなくなっている。
さらに探していると、いつも夫婦で散策している方が話しかけてこられました。
「看板は横山さんですか。ありがとうございます」
びっくりしました。嬉しくもありました。
関心を持って眺めている方がいらっしゃる、ということです。
大いに話が盛り上がり、その方によると、
毎年、一部に出ていたが、こんなに多いのは初めて、とのこと。
コナラの下の分布について、私の60本に対して80本と即座に答えました
出る区域が一定で、北側遊歩道と幼稚園通りの間には出ないこと、
以前、大株のキンランが出たことがあったが、消えてしまったことなど、
観察の一端を話されました。
そこに、もう1人、知り合いのBさんがひょっこり現れた。
看板のこと知っていた、観察している、とのこと。
菌が豊富にあることは分かったので、生育環境を整えれば増えるかも。
管理面で相談が必要です。

あゆの放流

ラジオ体操を休んで、7時に家を出て、菅間堰に向かう。
川越のはずれ、越辺川、入間川、荒川の合流地点近くの、古くからの農業用水取水堰です。
ここに県が魚道を作ったが、その機能を果たせるものかどうか危ぶまれるもの。
そこで、実際にあゆを昇らせて確認してみようということです。