あゆ放流の準備に鳩山に

江戸川で稚鮎が獲れたので、明日、急遽、放流を行うことにしたが、
道具類を運ぶ人手とトラックがない、
荒川清流ネットの代表から連絡が入り、鳩山の環境団体倉庫に向かう。
帰りに、田の草刈りをやる予定を組み込んでモアを積み込んでいく。
倉庫がある鳩山団地の旧小学校は、
今はシルバーのセンターやボランティア団体の活動の場になっています。
団地の子供たちの減少によって、早々と統廃合の対象となりました。
昔からあった学校ではなく新設校だったので、反対は少なかった?と
以前、住民から聞いたようなかすかな記憶がある。
子どもの減少と学区の再編は、公共施設の維持と絡んで、
今後、どこの自治体でも問題になるな、とここに来る度に思います。
この旧小学校は内外装ともしっかり手入れされており、
特に内部はピカピカに磨かれて、壁には卒業記念の大作などが貼ったままで、
今にも、そこここから、子どもたちが湧いて出てくる予感がします。
内部の森閑とした清潔な印象から、漠然と、よりいい利用法はないのかと思うが、
ボランティアやシルバーが現状では最も良い使い道なんでしょうね、多分。
グラウンドで、子供達が野球の練習で利用しているのを見ると、
現状、グラウンドが不足していても、小学校の統合で利用が可能になることが予測できる。
近い将来の公共施設計画は、二重投資のないよう既存の活用と全体的な見合いが必要です。
これを、うまく活用している市もあり、計画立案がますます重要になってくる。
日高市はどうなのか、今から重要な案件だと思うが、
総合計画以外の比較的規模の大きい個別事業の計画性が必要と常々思ってきました。
写真は昨年夏に撮ったもの。
放流には、結構、道具が必要。ただ放すのではなく、
あぶらびれを切り取って指標あゆとし、魚道下に放流して遡上を確認します。
川の中にいけすを作ってあゆを活かし、人海作戦で行います。



続けてきた落ち葉掃き

明治神宮の森の造営で紹介されていた遷移については多少のことは知っていました。
要するに、植生の変化です。
荒れた土地に様々な植物が定着しつつその構成が変わっていくこともそうだが、
耕作放棄地の植生の変化も遷移の一種です。
中の田公園、昨年の9月。たくさんのコナラのドングリが発芽して生長し始めていました。
実生から森が形成される最初の第一歩です。
明治神宮の森の形成でも、この実生が育って遷移が進み、
他の樹木を駆逐して計画通りの森が出来ていくことが紹介されていました。
中の田公園のコナラは大木になりすぎ、枯死が近づいています。
実生のコナラが自然に育てば新しい森が出来るはず。
コナラの発芽しているところは、落ち葉が僅かばかり残っていたところです。
かつては里山の様相が残っていたが、
今では、植物が育たない裸地となってしまった。
そこで、実生で発芽したコナラを守るために、
昨年の秋から落ち葉掃きを始め、一帯に落ち葉を敷き詰めることを続けてきました。
ラジオ体操の後の適当な運動にもなった。
落ち葉がある意味を伝える看板を2箇所に立てました。
その甲斐あって、落ち葉は堆肥用にもさらわれず春まで残りました。
落ち葉掃きで私が目論んだことは、実生のコナラを守ることで、また落ち葉の下から
さまざまな里山の植物が発芽し、新しい里山への遷移が進むだろうということです。
落ち葉の存在とキンラン、ギンランの群生は関係はあるのかどうかは不明です。
しかし、落ち葉があることで、その下の土壌の微生物環境が良くなっていることは事実です。
それが、コナラを媒介にしてキンラン、ギンランの植生に何か影響があるかもしれません。
そして、実生のコナラのほかに他の植物も発芽するなど、新しい遷移への何か兆しが感じられます。
NHKが放映した明治神宮の森の造営は、私の意図を後押ししてくれました。



保護しなければ

踏みつぶされてしまうことと、めずらしいからと自宅栽培を試みる人もいないとも限らないので、とりあえず、「めずらしさ」の理由を示すことが先決。3枚の看板を立てました。いずれ都市計画課の許可をとらないといけないが、とりあえずの情報提供も兼ねてです。看板を書くに当たって、ウィキペディアを参考にしました。


キンランの特殊性についてウィキペディアの記事が、専門家が書いているようで詳しいので、少し長いが下記に引用します。
「キンランの人工栽培はきわめて難しいことが知られているが、その理由の一つにキンランの菌根への依存性の高さが挙げられる。多くのラン科植物の場合、菌根菌(ラン科に限ってはラン菌という言葉も習慣的に用いられる)はリゾクトニアなどの、落ち葉や倒木などを栄養源にして独立生活している腐生菌である。 ところがキンランが依存している菌は腐生菌ではなく、樹木の根に外菌根を形成する樹木共生菌である。外菌根菌の多くは腐生能力を欠き、炭素源を共生相手の樹木から供給されているため、その生存には共生関係を成立させうる特定種の樹木が必要不可欠となる。そのような菌から栄養分を吸収しているキンランは、樹木の作った栄養を、菌を通じて間接的に摂取しながら生きているとも言える。……略……人工環境下においても外菌根菌の人工培養は難易度が高く、樹木に接種して外菌根を人工的に作ることも高度な技術を要する。現在のところ、一般家庭レベルの技術で共生栽培を成功させる手法は確立されていない」
野山を歩いて見たということは多く報告されていますが、環境省のレットデータブック(RDB)カテゴリーでは、VU(絶滅の危機が増大している種=絶滅危惧Ⅱ類)に指定、埼玉県では、もう一つ上のランクのCRとEN(絶滅の危機に瀕している種=絶滅危惧ⅠB類)に指定されています。
菌がいないところには、キンラン、ギンランは出ないようです。このような特殊な菌との共生による生育であるならば、この菌が公園のコナラの下の一帯に存在することになります。では、なぜ菌がいるかは、理由は分からないようです。
先日見た明治神宮の森が変化していく過程で、落ち葉の役割が強調されていましたが、この小公園でも何か、関係はあるのではないか。
目印に、竹を刺しておきました。
参考
環境省(1997)のRDBカテゴリ
絶滅(EX):我が国ではすでに絶滅したと考えられる種
野生絶滅(EW):飼育・栽培下でのみ存続している種
絶滅危惧I類(CR+EN):絶滅の危機に瀕している種
絶滅危惧IA類(CR):ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種
絶滅危惧IB類(EN):IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種
絶滅危惧II類(VU):絶滅の危険が増大している種
準絶滅危惧(NT):現時点では絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種
情報不足(DD):評価するだけの情報が不足している種
付属資料「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」:地域的に孤立している個体群で、絶滅のおそれが高いもの

大発見! 大発見!! 大発見!!!

後先になったが、4日前のことです。
順を追って書いてみます。


2日の朝、ラジオ体操からの帰りに、いつものように数十メートルの、
中の田公園内の遊歩道縁石を左右均衡をとりながら歩いていました。
縁石を歩くのは平均台を想定してのことで、身体のバランス感覚を養えるからという理由です。
時々、落ちないように下を向く。
「ヤヤヤー」である。29日の発見よりも数倍強です。http://d.hatena.ne.jp/hideoyok/20150429/p1
実際に声を発してはいませんが、内心の叫びは極致と言っていいくらい。
視線を下に落として数メートル四方の視界となったときに、何か黄色と白の点を感じました。
縁石を外れて、そちらに視線を向ける。
また、同じ漫画表現になってしまうが、これしかない。
「な、な、何と、」
「何と、キンラン、ギンランがそろって咲いているではないか」
夢ではないか。本当に。
驚いた。なぜ、突然出てきたのか。
しかも、こんな貧相な場所に、だ。
本当にキンランか。
ひざまずき、メガネをはずして、地面に額を擦り付けながら、
四方、八方から検分してみる。
そっと、触ってみる。
本物だ。
周囲を目を凝らして見回すと、あっちにも、こっちにも、です。
急いで、コナラがある場所を点検。
全域に出ている。大体が1、2本ずつ、多いところで5本近接して出ている。
………………
感無量。凄いことです。
一昨日、図鑑を見てケイランと判断したのは、ギンランだったのです。





キンランが野に咲いているのを見るのは、
小学生のとき、武蔵野の山野を駆け巡って遊んでいたとき以来です。
あの頃、特定の場所ではあったが、キンランが絨毯を敷き詰めたように咲いていました。
その光景は脳裏に焼きついています。
高度成長期に入って、里山の落ち葉や柴の効用は薄れ、
日本のヤマ(里山という言葉が使われだしたのはずっと後)に人手が入らなくなりました。
やぶとなり日陰となって、ヤマの植物相も変化し、
キンラン、ギンランも生育できなくなったのです。
そして、経済成長とともに、日本固有の動植物の生息圏は狭まり、
キンラン、ギンランも、環境省レッドデータブック
絶滅危惧類のリストに名を連ねることになりました。


それにしても、なぜなんだろう。
今まで全く見たことが無かったのに、突然、一度に出てきたのは。
こういう仮説、推論をしました。

本多静六と大隈重信

明治神宮の森を創った本多静六については、多くの研究があり、業績はよく知られています。
飯能市のHPの中の文章で読んだような記憶がある、と書きましたが、
見当たらず、簡単に触れた講演録がありました。
本多静六は、慶応2年(1866年)埼玉県三箇村(現菖蒲町)に生まれ、東京帝国大学農科大学教授、明治45年「飯能遊覧地委員会」で講演した」(東京農工大学名誉教授 亀山章氏、演題 『里山の過去・現在そして未来』平成22年2月、飯能市主催)。
埼玉新聞がデジタル版の漫画伝記『本多静六博士物語』を発行しており、
無料でダウンロードして見られます。
これは、埼玉県が埼玉新聞社へ委託して制作したもので、とても面白い。読むべし、です。
http://www.saitama-np.co.jp/kijikokoku/hondaseiroku/index.html
ところで、NHKテレビだったか、別の文章で読んだのか分からないのですが、
時の総理大臣、大隈重信は、雑木を植えることに反対し、
杉や檜による荘厳な雰囲気を出せ、と命じたらしい。
本多静六たち神宮の森の計画者達は、大隈を説得しました。
明治神宮は、明治天皇と皇太后を祭る国家神道の社です。
神宮の森も、明治天皇を祭るための大計画の一環だった。
明治以来、国民を国家統合の下におくため神道が国策化され、
権力による頭を垂れる最大の対象となりました。
時の総理大臣に抵抗してまで、日本の自然の特徴を再現しようとしたのは、
この森が、個人に、都市生活者に、文化・文明に
至福・幸福と効用をもたらすに違いない、
そして、それが自由な個人の形成につながることを見抜いていたのではないか。
かどうかは分かりませんが、私の推理です。
また八百万神、自然信仰である古来の神道による
日本人の心の拠り所を東京のど真ん中に創ることを目論んだ。
これも私の推理です。
財テク成功者の蓄財とポジティブ思考の先達としてよく読まれているらしいが、
「気骨」(古めかしい?)を知ることが、
今の我々の時代に最も必要なことだと思います。

感動! 明治神宮の森の記録

テレビの前を通りかかったら、明治神宮の森を放映していました。
以前にも放映しなかったか、記憶にあるような気がするが。
皇居の森だったかな。

(写真はいずれもNHK画面より)
おっ、と思って腰を落ち着けました。
素晴らしい! の一言に尽きる。感動しました。
神宮の森のさまざまな自然の光景に言葉は不用です。
どんな言葉でも表現できない世界が、東京という大都市の真ん中にある。
アフリカの奥地の自然の話しでは無い、
森の再生計画という、人間の極めて緻密な営為の成果なのです。
粘菌や微生物からアリなどの昆虫、小動物たちと里山の頂点オオタカまで、
100年後の動植物を想定した森づくり、明治の人の偉大さをしみじみと思います。
計画者の一人に、本多静六が入っていました。
本多静六は、飯能市が市に関係する人物として
何かで取り上げていたのを読んだ記憶があります。
常緑広葉樹を中心とする森を数段階の成長レベルに分け、
最終の仕上がりをイメージして植える木を選定したとのこと。
森が成長していく段階を「遷移」というが、
遷移という森林の自然現象を促進させるのが、落ち葉で、
番組でも、この落ち葉が堆積する効用を詳しく紹介していました。
想定した計画は、落ち葉によって実際にその通りとなったのです。



明治神宮の森は、私の思い出のつまった場所です。
大学から原宿・表参道を経て明治神宮の森まで、お決まりのコースでした。
良質な都市の香りがただよう街歩きから、鳥居をくぐれば水と森の自然が広がる里山の世界に。
私の里山を重く見る考え方は、育った武蔵野の影響も大いにあるが、
都市との調和や生活に欠かせない要素としての見方は、
この学生時代の神宮の森で過ごした時間、空間の影響が意外に大きい、と思うことがあります。
無為に流れる時間も楽しい、女友達と共有した場所でもありました。
明治の偉大な森の計画者たちは、
この森が、個人に、都市生活者に、文化・文明に
様々な至福・幸福をもたらすに違いないことを見抜いていたということです。
本当に感動しました。

不用チラシと資料整理

資源回収の日。
急ぎ、不用になったチラシと積み重なった資料類を出す。
膨大な量です。区切りのチャンス、束がどんどん積み上がっていきます。
どんなに重なろうが、山になろうが、
どこに、どんな資料があるか、大体分かっていたが、
仕事場の解体を含めての資料整理・廃棄となると、
ある意味で、今までの思考の流れの遮断というか、これもリセットです。
サッと点検しながら、思い切りよく廃棄への束を積み重ねていくと、
不思議なことに、物理的破壊が返って、
諸々の問題意識を研ぎ澄ますかのような印象を覚えます。
もし2期目やることになったら、このテーマと
敢えて任期中に触れなかったシビアな問題もいくつかあり、
それらも、鮮明な形で立ち上がってきます。
渦中から距離を置く、脱出する、ということによる
明晰さを認識すると言うことかな。