18.4%と15%の政治、原発再稼働と日高市のごみ有料化

 以前から私の頭の中で、相互に関係ない2つのパーセントが何やらもやもやと引っ張り合ってきました。
 一つは、原発再稼働の根拠としての電力供給不足のパーセント。
 もう一つは、日高市のごみ有料化の根拠としての、紙ごみ混入率のパーセント。
 もやもやとした引っ張り合いについての、とりとめのない話です。
 18.4%。関西電力管内の今年の夏の電力供給不足の予想です。原発以外の供給源を積み上げても、原発再稼働がない場合、2010年のような暑さになったら供給力が18.4%も不足するという。
 この数値は、資源エネルギー庁の試算として発表され、目下、政府の大飯原発再稼働の根拠となっています。大飯原発再稼働をめぐる最終政治判断とやらは、あれよあれよと言う間にさっと容認に方向転換した印象です。
 いよいよの時を迎えて、秘めていた思惑を一気に表面化させ突破を図ったということは、関係閣僚のそれまでの言動の流れを見れば明らかです。それまでは安全優先としながら、潮時とみると今までの発言を翻してまで推進に動く。
 そういうことは、今の政治状況からすれば全く逆効果しか生じないということは明らかなのに、理解に苦しむ過程です。それも、政権を担っている中心閣僚で、政権の信頼をかろうじてつなぎとめている政治家がそういう行動をとったことには、多くの人が落胆を感じたに違いありません。
 18.4%という電力の供給不足の根拠の薄弱さは専門家から指摘されています。私が会員となっているISEP(環境エネルギー政策研究所)所長の飯田哲也氏は、電力業界や官庁データに従来から批判しており、今回のエネルギー庁発表データにも具体的に反論しています。国家を左右するこれだけ重要な政治的判断の根拠となる数字を、あらゆる専門家を交えて検証すべき、というのは誰が見ても正しい。
 何と言っても、国民の約74%もが原発廃止に賛成しているという事実。ここに、3.11を経験した日本国民の考え方の歴史的、文明的大変換がある。その大きな流れを無視してまで、目先の政治判断のための汲々としたつじつま合わせしか見られないことは、残念をを通り越して…………(言葉浮かばず)。
 弁舌爽やかに再稼働反対を言っていた政治家が、業界のための政治判断という“どつぼ”にはまりこむ様を見て、政治とは何かを改めて思わざるを得ません。原発廃止に進んでもいいぞという国民の心があれば、節電への必要性を呼び掛けるのでも国家一体となった目標が立てられると思う。官と業に反して、ここぞ、という所に賭けられなければ政治家ではないと思う。

 さて、もう一つのパーセント。日高市のごみ有料化の根拠としての、15という紙ごみ混入率のパーセントです。これについては、私は一般質問で多くの言葉を費やして批判してきました。数日前も、廃棄物減量化等審議会の有料化を是とする答申に関連して書きました。
 太平洋委託当初の、紙でも何でも太平洋に入れればリサイクルという誤った誘導を払しょくする強力な啓発が行われずに今日まできたこと。有料化への住民説明会の実施を自画自賛しているが、正しい分別への市民との一大プロジェクトのような強力な運動をも企画することなく、自らの根拠薄弱を市民の分別意識薄弱に置き換えています。
 他の理由は先日書いたので省きますが、有料化への賛否の市民意識についてです。平成14年に始まった委託の僅か3年後、17年には早々と有料化が行政改革大綱に位置づけられ、有料化のアンケートも行われました。委託料の大きさにビックリし、財政があぶないと見て、てっとり早く市民からお金を徴収してしまおうという考えが見え見えです。当時は、まだ先の誤った分別誘導が行われていました。
 アンケートの結果は有料化実施の根拠となるには程遠く、また、この結果に関しては分析と事実に基づく分別政策を強力に推し進めることもなく曖昧にしたままでした。
 行政改革大綱の中では、他の重要な行革に関してほとんど何も成果を残すことなく、先送りと問題意識薄弱の中で推移する中で、重要課題としてのごみ有料化だけは機会到来のチャンスを狙っていたといえます。
 ごみ有料化の問題は、市民への生活サービスの基本として、財政の問題として、これからの住民自治の根幹につながる協働の問題として、広く今後の自治体の有り方を問う課題として、市民との話し合いに十分な時間をかけるべきなのです。これらの課題を話すことなく、ただ減量という政策主体としては寂しい限りの根拠で前のめりになって進める様には理解ができません。
 それに、日高市の有料化の成否が、今後の政策課題としてあがっている飯能市川越市が注目している、ということも言われていますが、これなど行政の内心の成果達成の誇示があるように感じられ、もしそうだとしたら逆さまの理屈としか言えない。
 そこで15%の紙ごみ混入率である。賛否は住民投票ではないから数値には現れず根拠はない。説明会に出た住民は大勢は反対だったいい、行政は記入を見れば賛成も多いという。こういう実施を前提のことについては、宣伝と情報操作を手中にしている行政側が必ず何らかの誘導を行うのは常識です。今回もそういう形跡はあります。私は公平に見て、反対は非常に多いと見ています。先に書いたように住民投票ではないから数値の根拠としてはいえません。
 しかし反対の中にはいろいろあるでしょうが、15パーセントの紙ごみの混入を市民の努力で下げよう、下げられるという意思表明がほとんどであると思います。その意思は当然のことながら、行政に協力して行う、という前提です。言ってみれば、ごみの分別に関しての市民のやる気と協働への意思は、最も尊重すべき良質なまちづくりの市民意識だということです。これを尊重せずして、何のための行政かと言いたい。市民サービスの有料化と値上げは、今後の自治体経営を考えれば必ず起こり得ることです。無理を通すやり方では、今後の望ましい関係はあり得ない。
 有料化推進は新市長の裁断に委ねられるとされますが、推進となった場合は、議会の議決となる。無理を通す行政(政治家としての市長の意思)に議会がいっしょになって通すとしたら、何のための政治かと言いたい。安易な批判なき妥協で、ここぞ、という所で市民の意識に賭けられなければ政治ではないと思う。
 原発再稼働と日高市のごみ有料化のパーセンテージに関する2行を書きたいために、こんなに文章を費やしてしまいました。