和光市長、松本武洋氏の話し

 夜、東京市ヶ谷で小さな集まりがあり、和光市長松本武洋さんの話を聞きました。
 松本市長は41歳。改革派の市長として注目されています。1969兵庫県明石市生まれ。92年早稲田大法学部を卒業し、ベンチャーキャピタル、出版社勤務を経て、2003年和光市議会議員に5位で初当選。07年トップ再選。09年5月和光市長選挙で当選し、財政の専門家としての知識をフルに活かした行財政改革を推進中です。
 財政改革にあたって、事業選択と同時に安すぎる公共料金の見直しを行っています。その際、徹底的な情報公開と必要な説明を行政の義務として組織の最優先の行動原理として打ち出しているところが素晴らしい。一時、話題になった自分本位の首長政策を押しとおす改革ではなく、言葉を尽くしての説明を伴った改革で、市民全般に受け入れられる正統派民主主義であるところが支持されている理由だと思います。
 和光市はホンダや関連企業が集まる産業都市で、法人税が財政を潤し交付税不交付団体でした。しかし、不況による法人税収の落ち込みで財政が悪化しました。
 そういう中での市長就任です。公約の第一の行財政改革を進めるため、全面的事業の見直しや下水道料金、保育園保育料の見直しを行いました。そういう不人気な施策をどういう手順で行ったか。
 徹底した市民参加と説明を尽くすやり方が、松本市長の真骨頂です。私の目指す方向も全く同じ。内輪の会合と言うことで、選挙の話を含めて非常に示唆ある内容の濃い話しが聞けました。
 レジュメからいくつかの見出しフレーズを取り出してみます。
 就任後の重点取り組みとして、5つを上げました。
(1) 多様な市民参加
(2) 負担増に関する市民参加
(3) 財政の見える化
(4) 住民投票制度の改正
(5) 総合振興計画策定への市民参加の徹底
 この中で特に印象に残ったのは、(3)の「財政の見える化」です。
 いろいろな事業を市民に理解してもらうには、財政を分かり易く市民に説明し、事業の評価・判断もそこから出発すべき、という考えに基づいています。このために、夜間説明会を開催し、市長自ら説明を行いました。
 松本市長は、本来、この財政説明会は行政の側から行うのではなく、市民からの発意でやってほしい、と言っていました。市民からの行動が出てくることを期待して、行政が呼びかけていくという。
 市民による財政研究については、日高市での私が参加している「日高まちづくりフォーラム」の活動を説明しました。市の事務事業の勉強と日高市財政の「見える化」を目指しての5年にわたる自発的勉強会は、改めて貴重な活動であることを思いました。市民による日高市財政白書の完成を目指して、いま頑張っているところです。


 市長選挙の時は、現職の市長を支持した議員は1人、もう一人の候補を支持した市議は9人、ご自身を支持した市議は3人。こうした形勢において、なぜ当選したのか。その理由は簡単。市民にひたすら自分の政策を訴えたことでした。
 松本市長は、先の統一選挙では「さいたま海援隊」を、さいたま市長をはじめ何人かの首長といっしょに組織し、和光市の市議選でも支援を行いました。
 松本市長が「さいたま海援隊」に参加する前提としていくつかの条件を挙げました。
a. 市長の手足としての市長に賛成する議員をつくるのが目的ではない。
b. 議員の資格、所属などに条件をつけない。
c. 行財改革を基盤に置いたまちづくりの理念を、さいたまの地域条件を踏まえながらしっかりと持っていること。d. 市民への説明責任をしっかりと果たす政治家であること。
 和光市での推薦議員の選挙では、震災後の状況を考慮しての自粛は、一切行わなかったとのこと。やはり政策を自分のまちの課題として積極的に訴えることが重要であるとされていました。これには私も日高市での統一地方選を振り返りながら、自分の考えていたことの妥当性を確認しました。
 総じて、「自粛」ということが美徳として捉えられます。しかし市民への説明と流布を目的とする公的な行事においては、果たして自粛がいいのかどうかはケースバイケースです。選挙は有権者に情報を均一に提供しなければならない最大の行事です。そのために不備は沢山ありますが公選法があります。その範囲内でのお金を使っての情報提供は当然ではないかと思いました。


 会場は市ヶ谷のお堀端に建つペンシル型のビルです。8時半頃だったかかなりの揺れを感じる地震がありました。いまこの時点で、建物の倒壊に至るような地震があったらどうなるか、想像すると恐ろしくなります。復興が早く進むことを願わざるを得ません。