5年遅れのシイタケ


  シイタケがたくさん出てきました。このほだぎは、菌を植えてから5年近くもサッパリシイタケが出ないので、片付けてしまおうと思っていました。それがこの暖かさと雨のせいか、続々と出てきました。
 不思議なことです。同時に別の菌を植えたほだぎは、すでに木の養分、成分を使い尽くされてぼろぼろに朽ちてしまいました。一方、写真のほだきはシイタケは出なかったのですが、木は崩れずに固さを保っていました。ほだぎを動かせば菌に刺激を与えることになるので、もしかしたら出るかも、と少しの期待はありました。
 これは、菌の塩梅によるものと考えざるをえません。並べた場所は、1メートルの間隔で同じ場所です。もう出尽くしてしまった菌は、大手量販センターで買ったもの。出なかったのは、まちの種屋でかったもので、地方種苗会社の菌だったと記憶しています。
 出なかったので、当然、こんな粗悪菌という思いの、種屋と菌への不信はありました。しかし、今どき出てきたのを見て、自然は一様でない、皆それぞれなんだという、これまた当然のことに気がつかされました。ともすれば、一様に右に倣えの発想になりがちなのですが、こういう自然界の出来事を見ると自らの決め付け思考の貧困を反省します。
 土壌菌については日頃からそういう発想をしているので、上下善悪の違いはないという考えはすっかり身についています。土の中の菌に悪玉も善玉もあり得ない、人間が善悪を決め付けるのは傲慢不遜、自然界には人間の裁量の届かない“平衡の世界”があるということです。
 「自然を観察する、作物を観察する」ということは、作られた先入観を打ち砕き、自然の摂理を理解しながら、自らを“零位の位置”(自然農業の趙漢珪氏の言葉)に置くことです。
 と、自然農業の考え方に思いが至るのですが、しかし、量販菌は、菌を植えて翌年秋からニョキニョキ出てきて産物を手にすることを思えば、この5年はちょっと長すぎた。
 ほだきを始末しなくてよかった。