岐阜県へ。そして “買い物難民”でTVに出てしまった

 私がテレビに映ったようです。ようです、とういうのは、私は自分で見たのではなく、聞いたのです。NHKの夜7時半からの人気番組「クローズアップ現代」。金曜日は特報首都圏として通常とは違った趣向の取り上げ方を行っています。7月11日は「増加する“買物難民”食生活の危機」というテーマでした。
 前回の文章で書いたように、6月28日の自治会移送サービスについての検討会にテレビの取材が入っているのは知っていましたし、それがマスコミ3回目の取材であることも書きました。当日、カメラがあちこちで回っていましたが、何を言うべきかを考えていたので、ほとんど思考と視野には入ってきませんでした。
 タイトルの「……しかも」という意味は、何と夫婦で出てしまったのです。会場の様子はどなたが出席しているか分かるほどに、映ったようですが、発言風景は、買物の現地取材を別にすれば、私と妻が大部分であったようです。
 これは全く考えもしませんでした。妻は見て晴天の霹靂、目が点になってしまったようです。しかし妻は言いました。「あなたは顔のしみまでばっちり映っていた。私も随分年をとったことがわかる」と。寄る年波は普段はあまり気にしないのですが、テレビで鏡に写るよりはしっかりと受け止めたということです。
 何を言ったかは大意、前回の文章です。私たちが出たことは、テレビのテーマに合うかどうか、絵になるかどうかで、編集が判断したことで、偶然の一致が重なりました。

 さて、テレビを私は見ませんでした。その頃、私は甲州街道諏訪湖付近を走っていました。その日は、オークションで購入した耕運機を岐阜県まで取りに行って、その帰途中でした。
 愛用のオンボロマメトラ8馬力をエンジン焼き付きで使用できない状況になってしまいました。いくつかの解決策を講じてみたのですが、結局、そのうちの一つの策であるオークションで、適当なのを競り落とせました。沢山競りが入っていたのですが、引取り限定だったので、遠隔地の人たちが下りてしまったようです。私も遠隔地ですが行けない距離ではなかったので、最後まで勝負、うまくいきました。
 朝6時に出発、行きは高速で5時間、下に降りてから1時間で12時半位に到着。現物とその場の状況を見て安心、とてもいい買い物でした。イセキの定番耕運機「大作」とそのアタッチメント5点。程度と整備と付属物の多さを考えれば全く大満足です。
 着いたら3人が耕運機の周りにいました。主人と奥さんと農機具屋さんとのこと。最後の点検中でした。奥さんは布で磨きあげていました。メッキが多い車体でピカピカです。エンジン回りも油よごれもなくきれいです。
 アタッチメント5点、おまけですが、これほ本当に嬉しい。古い機種はこれを揃えるのが大変なのです。車輪の軸の口径から取り付け方まで。見ないで買うわけですから実際にやってみて取付不能ということも起こります。何の心配もなく畑作、水田両法の作業がバッチリです。

 帰途の風景をいくつか。地図を見ると、付近に「認定 日本―の農村風景」とありました。広い盆地状の地に主として田んぼと森の混淆です。山間でありながら広々とした散村風景で、確かに美しい風景です。日高の里山を見慣れた目には開放的なのびのびとした印象がとてもいい。
 

 近くの小さな町を走っていたら、とある交差点に古い履物商店がありました。その風情に魅かれて降りて行ってみると、その前の道が昔の街道筋でした。古い家並みがずっと軒を連ねています。
 薬屋、酒屋、荒物屋、天ぷら屋、米屋、和菓子屋……。地域の人々の生活を満たすいろいろな商店が、昔の店構えそのままに商いをしています。これは素晴らしい景観です。この空間に、とてもほっとした思いを抱きました。
 山で隔離された地域で大商業資本が入ってこないのだと思います。この条件をよい方向に利用するまちづくりの心意気が感じられました。この辺には織田信長時代の遺跡も多くあり、美しい農村風景と相俟って日本の地域が残っているようです。地方分権がこのような地域を残し生活も良くする方向に働いてほしい、と思いました。


 ここには、買物をして生活をするということの“根本原理”があるのかもしれません。顔の見えるやりとりで地域の生活が成り立つことは、かつての日本の地域はどこでもそうでした。地方分権も地域商店活性化法も突き詰めれば、こういうことであると思います。地域福祉計画もそうです。
 しかし、国と大半の自治体が進める広域化の効率と合理に“地域のこころ”があるのか、この点が忘れてはならない問題だと思います。わが武蔵台の買物難民問題にも通じるところがあるかもしれない。
 そんなことを思い、いい街を見ることができたと満足感にひたりながら走っていたら道に迷ってしまいました。矢作川沿いに山奥に入って行き、千尋の谷を左右に見ながらしばらく走って、ようやく国道出現、夕方になっていました。