脱・反・原発集会

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 金曜日の夜、首相官邸周辺で行われている反原発デモに行きました。もっと早く行きたくてジリジリしていたのだが、仕掛かりの仕事の最終決着のメドがつき、心置きなくの参加。お昼頃、別用で電話があった同僚の永沼大芳さんに話したら、連れて行ってくれとのこと。2人で出かけました。
 行くことについては2つの理由があります。
 私は40年前からの反原発である。かつて昭和30〜40年代、人類の生存と人間の尊厳と原子力の関係について沸騰する議論があり政治もそれをめぐって議論する時がありました。私はその時から原発論争に関心があっていろいろと読んできましたが、私の理解と感性と大げさに言えば生き方からすれば、どこからも原発に与するところは見えてこなかった。
 議論は結局、抹殺されてしまいした。産業的発展と経済利益だけを目指した産業界、その先兵となって新しく生み出された壮大な利権に食いついた政界、学問と技術の自己展開を目論んだ学会。
 産官学の共同戦線が成立するこの過程で、反原発を鎮め原発を推進させる膨大な予算が投下されました。マスコミは原発推進一色となって、原子力産業とそれを支える官民組織に鉄のカーテンが降り、学会も恩恵と利益に与ったのです。国民も便利さと快適さに酔いしれ、鉄のカーテンの向こう側の仕組みは、3.11という痛みを被るまで露呈しなかった。それどころか、同じような構造のタコツボは、知らないうちに身近な生活圏も含めて社会のあちこちに出来ていったように思います。
 それはなぜなのか。被爆という経験を持ちながらそれが国民の財産にならず、人類存続のための価値観を創れなかったのはなぜか。この理由は単純なものではないことは分かりますが、それを考える小さな火種を持ち続けることは必要だとずっと思ってきました。そういう火種を持っていた人々が大勢いたし、新たに宿した人々もいる、そのことを示しているデモの中に身を置くことは意義あることだと思いました。それが一つ。
 もう一つはデモのこと。かつてメーデーの動員デモに行ったことは何回かありましたが、特定のスローガンを掲げたデモには行ったことはなかった。一般人が特定のデモに行くことはむずかしい。そのテーマへの賛否もさることながら、結局、主催者団体への支持の問題があるからです。
 今回のデモは、今までのデモの概念にない特徴があるようです。自発的参加、特定の主催者団体がなく自然発生的運営組織、国民が目覚めた反・脱原発と再稼働反対の自然発生行動の自然拡大。特定の政治勢力では無く自発力の自己回転が大きくなった、等です。参加者もその辺のことはよく分かっていて気楽なイベント参加気分です。
 これは、明らかに今までとは異なる雰囲気です。テレビの国際ニュースを見て漠然と不思議に思っていました。特に環境など地球全体に関わるテーマの場合、欧米では多数の市民が参加するデモが行われます。背景に先鋭的環境団体があるということを考慮しても、環境や核に対する問題について日常の意識として持っているのではないか、ということです。
 だからドイツが突然、脱原発に回帰したのも、一朝一夕のことではなく、それが政治、市民社会のテーマとして国民に行き渡っていたからではないか。そうでなければ、あの原子炉、重電、電気製品等の世界的超巨大製造メーカーであるシーメンスまで原子力を企業方針から外すことなど出来ないはずです。
 3.11を機会に、我々も個々の小さな火種を育てることができるのか。そうしなければならない、と私は確信しています。それを実感することが二つ目の理由です。

 地下鉄の国会議事堂前駅から地上に出た途端に警察官の壁です。壁の一角に黄色いリボンや腕章を身につけたボランティアのメンバーが進行方向を指示しています。警察官の態度と口調も柔らかい、規制と進行方向の説明は丁寧です。
 歩き始めるとそれほどの群衆では無い。しかしあちこちの交差点で人の塊があります。警備によって人の流れがコントロールされ、列ではなく塊になっているらしい。
 国会正門前に近づくと、塊が集まって長大な列を形成しています。しかし、動かない。僅かな進行はあるが行進では無い。だれかが腕章ボランティアに聞いていました。なぜ動かないんだ、と。答えは、これはデモではない、あくまで皆さん個々人が意思表示のために集まったことによる列である、と。
 明らかに一人で来ている人が多い。子供連れの若い女性も多い。臆せず甲高い声で「再稼働ハンターイ」と声をあげている。3、4人のおばさん集団がたたく太鼓のリズムが何ともいい感じ! あれは何という太鼓か、和太鼓ではない。テレビカメラが簡易照明を従えながら、道路側の僅かな隙間を駆け抜けていく。
 歩道よりの道路を、反・脱原発、再稼働反対のステッカーを貼った乗用車や、荷台に横断幕を掲げたトラックなどがゆっくりと走っていき、車内から歩道の人々に声をかけていきます。自転車も何台か一人であるいは集団で通り過ぎ、国会を周回しているようです。
 8時近くなって、警察官が「ヨーセイコードーは間もなく終了します」と流し始めた。
 ヨーセイコードー? 何だ、それは? 「要請行動」ということらしい。これは、警備側も個々人の意思表示であってデモではないことを認識している、ということです。
 私たちは列から抜け出て正門前を通り帰途につきました。別の所にはまた大きな塊があり、人の流れが切れること無くあり、国会が意思表示の人々で“包囲”されていたことは確かです。
 
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