有機農家F氏

 JR東日本が「駅からハイキング」で女影コースを設定して約1000人が日高市の田んぼと平地林の景観を楽しんだ日。出発地の高萩駅には産業振興課、観光協会のアレンジで出店ができました。数時間して戻ってくるハイキング客に日高市の産物や地元野菜をお土産に買っていただこうということです。
 野菜を出す農家が何軒か来ていました。立派なレタスを持ってきていた農家の比較的若い人(中年)がいたので話し込みました。話しているうちに、どちらのどなた、と訊きました。
 原宿の太平洋セメント近くのFだという。ここで、私の頭の中に蛍光灯がパッと点きました。「あっ、あのFさんか」。
 有機農業研究会のFさんかと聞くと、高齢で今はやめたけれどそうだという。しかし、今も八十何歳かで現役、いっしょに農作業をやっているという。自分は最近、勤めを辞めて親父の後を継いで農業をやることにしたとのこと。
 これは私にとって本当に嬉しい出会いです。私も間に数年の中断はあるが十数年現在まで、日本有機農業研究会の会員です。会員になってしばらくして刊行された『全国 有機農業者マップ』。全国の有機農業研究会のメンバーを紹介する本で、これを見ると先駆的に有機農業に取り組む農家の様子がよく分かります。平成8(1996)年に出版され、現在は第2版でF氏は初版に出ていました。

 買ってすぐページを繰り、埼玉県を見ると日高市にお一人いらっしゃる。身近な存在に感激し行って話を聞きたいと思いつつも果たせず、先日の高萩駅での息子氏との出会いとなったわけです。初版にメンバーとして出ていることは、日本の有機農業を開拓してきた先覚者のお一人です。
 息子氏の話を聞いてみると、畑の位置も分かりました。原宿から旭ヶ丘に向かう都市計画道路沿いにあるとのこと。ああ、あそこか、とすぐ分かりました。
 以前から、旭ヶ丘方面に行くときに気になる畑があり、時々は車を止めて見学をしていました。堆肥の作り方から作物の栽培状況からして、何となく“ただ者”ではない雰囲気を感じていたのですが、やはりF氏の畑だったのです。積年の宿題のテーマを果たすために、近々うかがってみたい。
 有機農業については、国は平成18年有機農業の推進に関する法律を議員立法で制定し、平成19年に基本方針を公表し、国として有機農業を積極的に推進する環境を作っていくことを決めました。
 議員立法の効力を如何なく発揮し、ここ数年、農水省の情報提供と支援もまだ十分とは言えないまでも格段の進歩です。有機農業専用のポータルサイトもできました。http://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/yuuki/index.html
 しかし有機農業の全国的データは整っていなかったので、その調査を補助事業として行い、平成23年、その結果がまとりました。これによって、有機農業実施農家数や実施面積をはじめ有機農業に関する全国的基礎データが整いました。
 それによると、有機農業については有機JAS認定農家が4000戸、このほかに有機JAS認定を取得はしていないが、有機農業を行っている農家が8000戸あると調査結果から推計されました。全国で1万2000戸、総農家戸数の0.47%です。平均年齢は59.0歳。60歳未満が47%。面積は1万6000haで全耕地面積に占める割合は0.36%。抽出調査で農業センサスのような正確なデータではないのですが、大体の傾向は分かります。
 今でも微々たる存在ですが、統計からみると平均年齢も低く、開拓の意志が感じられます。F氏が取り組み始めた時はまさに極小の存在だったわけで、先駆者としての軌跡に敬意を感じます。
 日高市での有機農業の取組の話になった時、息子氏は「公の世話にはならず自分でやることが大事」という意味のことを口にしました。親父のDNAを受け継いでいることを強く思いました。