生活の根源としての田園


 12日朝ののTV、ビル屋上の緑化がテーマでした。構えてみる番組ではなかったので聞き流していたのだが、イネを植えるという言葉が聞こえてきたので振り向いて見ると、屋上に田んぼの絵です。
 屋上緑化は、政府も自治体も温暖化対策事業として熱心に補助を行っている施策で、建設会社も専門の部門を設けているくらいです。
 イネの向こうにビル群の外壁が見えるという常識で考えたらあり得ない風景。田の水面にカエルが顔をだし畔に水生動植物が育つ“田園”。それがビルの屋上で可能になったのは、特殊な土や防水技術の進歩によるものです。
 見えない技術で支えられた田んぼであっても、イネが実るまでの四季の移り変わりは、農耕民族日本人の心を癒します。そういうところにお金をかける、お金をかけても身近に求めたいという傾向は、将来もっと強まるのではないだろうか。そして、そのことは高層田んぼではない、正真正銘の田園への回帰の趣向を助長させていくと思います。
 TPPが実現しようとしまいと、田んぼは農地の合理化にさらされていきます。特に、首都圏においては、その合理化圧力は、一つは耕作放棄地を集約して経済性を追求する方向であり、一つは産業用地、住宅用地としての開発指向であり、前者は農水、後者は国交の省権益を背景としたぶつかり合いで、気が付いたら首都圏から田園が消滅した、という結果になるかもしれない。戦後の都市計画の軌跡は、この二つの省の縄張り争いでもあったわけです。
 その結果に対してそこはかとない後悔と悔悟は、一方で水辺再生、みどりの再生とかいう政策として打ち出されていますが、それは破壊の後の対症療法であって、生活の本当の幸せとは何かを根本に置くものではないような気がします。
 基礎自治体は、よほどしっかりとした考えに基づくまちづくりを行っていかないと、地域の実情を無視した中央の政策の犠牲になってしまう。政策翻訳・伝達機関である県も、基礎自治体と距離的には近くなってもその本質は変わらないと思います。
 外形を変えることが進歩であるという根強い行政の指向は、市民の求める住み易さと人間の幸せとは逆行することもあります。日高市においては、土地の規制緩和という国交省政策にどっぷりと浸かり、いま農地の合理化という農水省じゃぶじゃぶ予算消化の先頭に立った。
 他の自治体にない資産が、今後の時代の切り札になります。中央省庁の政策のお先棒をかついでその資産を切り売りすることはない。そのために、基礎自治体独自の市民の希望に基づいた計画があり、自治がある。要は私たちが何を選ぶかの目を持っているかです。
 農地合理化の先頭に立たされた女影田んぼの整地と埋立てと汚水発生に私はその実例を見ます。住民の意向を十分尊重しない外形を変えることで進歩を見る典型であり、無理な経済性追求がそれに重なりました。次の時代の価値を生む余裕資産と諸々のものを失ってしまった。今からでも遅くなない、後世に残すべき価値はしっかりと見極めていこうと思う。
 JRの新企画「駅からハイキング」の『旧鎌倉街道と緑豊かな田園風景を楽しむ』に1000人が申し込んだという。日高市にとって新しい価値を創造してくれる来訪者です。女影田んぼのど真ん中を歩く人々の気持を聞いてみたいと思います。私が10年間、細々と主張してきた里山と田園の価値を認識してもらえる良い機会が思いがけない形でやってきた感じです。
 屋上の田んぼの話から女影の田んぼに跳んでしまいました。