「プロメテウスの罠」

 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」は、福島原発事故発生時の総理官邸での対応を検証する記事です。35回を数えた連載は今日で終わりました。
 3.11以降の福島原発事故への対応が時間軸に沿って再現されていきました。総理官邸、東電、原発の現場の主要3カ所を中心に関係する方面の動向も含めて、関係者の言動が明らかにされていく。実名での報道ですから、面談しての取材で、しかも当人も名前を出すことを了承しての記事です。
 ノンフィクションは、書き手によって“あたかも見てきたように”再現されてしまう恐れがあります。ノンと言っても、その辺の警戒感を持って読まなければなりませんが、記者の地の文章ではなく、今なお関わっている当事者や関わってきた人の証言を実名で報じることであれば真実性は相当高い、と見ていいのではないかと思う。
 総理大臣を中心とする官邸の情報取集と対策の姿は、事故と同時進行で報じられてきたし、一段落したころから分析を加えて実態が語られてきました。
 それらの情報は断片的で、大体、この種の情報の通例としては悪い局面を捉えて強調するというのが普通ですが、私の目のした記事もそうでした。メディアの特徴と性格によっては、もっと極端なのかもしれません。
 その結果、事故対策の最高司令部としての官邸の行動は危機管理能力に乏しく、責任者の管総理はリーダーとしての責任をはたせなかった――大雑把に言って、こんな感じではないかと思います。メディアによって作られた世間一般の印象というものは。
 私もそんなものかと思っていました。以前、官邸で首相の姿を間近に見た人間の談話を、同じ朝日新聞が報じていました。たしか、「管総理は怒鳴るばかりでリーダーとしての資質を欠いている」という内容。この記事はよく覚えています。
しかし、連載記事を読み終えての感想は、そういうことではなかったな、ということです。情報が上がってこないのに焦燥感を覚えるのは当然。多少の言動の荒さはあったでしょうが、あの破滅的事態への進行が進んでいる状態ではそれも当たり前。
 しかし、それよりも強烈な印象を残したのは、東電の対応です。情報が上がるか否かは設備を所有している東電の情報取集と伝達にかかっています。それが組織としての機能不全かつ人為的判断が加えられて、最高司令部の意思決定の材料欠如となって初動の対応を難しくしたように思えました。
 東電撤退に関して、社長は「過去は語らない」と口を閉ざしました。これは責任ある立場の人間の自己保全、組織延命への一つの姿であり、九州電力オリンパスと連想が繋がれば日本の企業社会の風景です。
 新聞の取材の限界もあると思います。真実がどこにあるかは、私たち一般国民には分かりません。いずれ、明らかにされるでしょう。いま進行中の官民3つの福島原発事故を解明する調査委員会の報告が完成した時です。
 初動の情報が頭に刷り込まれて、そのままいってしまい固定化されてしまうことは日常よくあることです。そういえば、陸前高田で住民から聞いた話。屋外スピーカーから流れた災害放送は、津波の高さを6メートルと告げた。それが頭に残って非難が遅れ、実際に襲来した10メートル以上の津波に飲まれた。
 深夜のテレビで、スリーマイルとチェルノブイリ原発事故を振り返るドキュメントを放送していました。イギリスBBCのフィルムだったと思います。
 滅多に見られない貴重な放送でした。原発が生み出す電力が生活の豊かさを生み出すイメージとして、見えない巨人を描いたテレビ宣伝が流されました。この巨人が3つの事故を経て地球を破壊するモンスターに変わったたのです。この破壊が人為の結果であることが、二つの原発の責任者への長いインタビューで明らかにされていきます。
 スリーマイルの責任者は、外部の評価にさらされない専門家集団にまかせて、市民(テロップには「市民」という言葉が出て、ナレーションもそう言いました)の監視を受けないことが原因であった、と話していました。チェルノブイリでも、専門家への警鐘が語られました。
 インタビューの内容は、福島原発事故の反省としてもそのまま通用することです。もちろん安全への手順と暴走防止への手段は、当時とは比較にならないくらい進歩しているでしょうが、本質は変わっていません。
 余りにも大きい問題で、どうこうすべきということは簡単に言えませんが、専門家という集団、独占的組織等に対する目を養うことは、案外、自分の周りの日常での出来事かな、と思います。