福島第一原発事故調査委員会の調査報告と日高市

 福島第一原発政府事故調査委員会の中間報告が発表されました。新聞は詳しい内容を伝えています。NHKも、委員が出演して直接、内容の解説と経過について話していました。

 朝日新聞の「官邸内で情報寸断」という記事を読んで愕然としました。国や東京電力が周知を結集してつくったはずの仕組みがほとんど機能しなかった。
・国・政治:首相官邸5階の対策本部(最高首脳)、地下の危機管理センター(関係省庁)
・国・官僚:原子力保安院経産省)、原子力安全技術センター(文科省
東京電力:本店、福島第一原発
・現地対策本部
福島県
 これら合計8か所の情報の集積・流通拠点がありました。報告は、情報機器等の物理的手段さえも備わっていなかったという事実の上に、。混乱が上塗りされていく具体的な現象を挙げて検証しています。
 5階にいた首相を含む官邸の右往左往は、従来から強調されて指摘されていました。やはり、これも従来から言われていましたが、要となるべき保安院の官僚体質、対応不足が際立っています。
 結局、情報については「情報共有をはばんだ組織の壁」「情報収集への消極姿勢」「情報統制の壁」といつもながらの言葉が並んでいました。
 何か懐かしい聞き覚えのある言葉だなぁ、これは何だろうなぁ、と記憶を辿ってみました。多分、このことかもしれません。NHKがここ数年報道してきた日本海軍の組織と人材を分析した言葉です。海軍ならずとも、作家・評論家が日本軍を回顧する時によく使う言葉のような感じがします。

 テレビではどうか。
 委員長は職責上もあるでしょうが、内容について淡々と発言していました。しかし、委員の1人である柳田邦夫氏の発言の歯切れの悪さが気になりました。
 記憶なので違っているかもしれませんが、私の頭に残っているのは、「事故の背後にある大きなもの、単一でない非常に広範なもの、システムの背景を作っているもの」等の意味合いです(「」内は柳田氏の発言の引用ではなく私の心象としてのもの)。
 柳田氏は恐らく、人間と組織の風土というか、日本人としての国民性とかを言いたかったのかもしれません。この辺は記憶が定かではありません。

 政府中間報告発表の前日、26日の朝日新聞のひと欄。民間事故調査委員会の委員長である北澤宏一氏の紹介が出ていました。民間事故調査委員会は、原発に利害のない専門家がメンバーとなっています。毎日新聞にも出ていたようです。朝日も毎日も同じような内容なので調べてみると、11月23日に行われた北澤氏の日本記者クラブでの講演が元になっていました。
 その時の北澤氏の発言の一部(記者クラブメモより引用)。
 「一人ひとりは善良な市民だ。ところが全体として集積すると無責任になってしまう」
 「誰か1人に責任があるのではない」
 柳田邦夫氏の問題意識に共通するトーンがあるような気がします。

 福島第一原発事故調査は、現在3つの組織が同時並行に進められています。
・政府(今回の中間報告を発表した。法的権限なし)
・国会(法的権限あり。証人喚問)
・民間(法的権限なし。財団法人シンクタンク
 各々がどんな報告を出し、それに対してどんな評価をするか。学者・専門家だけでなく市民も加わった、日本の全知全能を傾けなければならない課題です。私たち個人個人の性格が「言われても直らない」のと同様に、日本国民の性根もそうそう簡単に変わらないんではないか、と悲観的になってしまうが、私ごときが大風呂敷を広げて語るテーマではない。

 私が語りたいのは日高市の問題です。と、ここでいきなり私の仕事(議会の)のことになるのですが、組織の問題は共通します。大きかろうとちいさかろうと、瓜二つの相似形で現われます。選管不適切処理の問題に始まる内部統制と組織マネジメント及び行政改革の課題と、原発事故に潜む日本の課題に太さは分からないがつながる糸が見えるような気がします。