松井とイチロー

 NHKのスポーツ番組で、偶然、松井とイチローの今年を振り返る番組を見ました。「世界の最高峰メジャーリーグで活躍した日本人は12人。その中で特に注目を集めた4人の選手をとりあげ、1年間の戦いの軌跡に光をあてるシリーズ企画」というのが番組のふれこみです。
 私が見たのは、番組のうちの第1回と第3回でした。
 この種のヒーロー番組は編集してあるのは当然です。当人と編集側の意図が交錯しつつ、一筋の流れが作られるので、真実はどこにあるかは本当は分かりません。しかしスポーツは、結果が曖昧・不透明であることとは違って、結果オンリーの単純な世界です。
 野球は、「いかに遠くにボールを飛ばすか」と「いかに相手の選手が動けない追いつけない空間にボールを飛ばすか」。野手の結果はこの二つです。投手はこの逆。ここで技術を競う世界なので分かりやすい。
 技術の結果としての分かりやすさを人間的背景で見るのはドキュメンタリーとしては面白い。どのように編集されていようと、政治・経済と違って違うなと異を唱えることはなく、ヒーローの軌跡から、お金と名誉と技・能力の出来上がったイメージを確かめる過程は面白い。
 記憶に残った部分のみ書いてみます。
 詳しいいきさつは知りませんが、松井秀喜アスレティックスで再起に賭けたという。環境が変わっても調子が出ません。打者のみで守備には出ない、フル出場ではない部分出場という監督の起用方針が基本にあるらしい。
 「自分は試合に出ながら調子を上げていく」と松井。
 「結果が出ていない選手は使わない」と監督。
 松井は悩む。出場できないことにはどうしようもない。自分でコントロールできない条件下で、プロとしての選手生命の限界を感じたようです(この辺の記憶ははっきりしませんが)。
 ところがこの監督は突如、解任されてしまいました。何という松井の幸運。新任の監督は松井を理解、守備の伴うフル出場を認めました。そして、何とか生き返りました。
 「結果が出ていない〇○○は使わない」
 こんなことは、よくあることだな、と思います。
 「前例踏襲を守り実績のないことはやらない」「実績のない会社は入札できない」「実績のない研究は打ち切り」「経験○○年以上を募集」。役所も会社も個々の判定者も、能力判断の危ない橋は渡りたくない。しかし、これが当てにならないことであるかを証明できるのは、出会いの運命と結果としか言いようがない。松井は全くの幸運であり、選手生命を延長できました。誰でもこういうことは経験しているかもしれません。
 200本安打の大記録が11年目でついに途切れたマリナーズイチロー

 調子が出ないままシーズンは進む。技術の求道者であるイチローは自己問答の孤独の世界に入り込む。フォームを微調整しながらカンを掴んでいくのは、この大打者にしても必要なことなのか、と思ってしまいます。
 イチローは年齢の衰えというのはあり得ない、と言います。衰えるどころか以前を上回る能力の発揮を感じるという(この辺の私の記憶はあいまいです)。
 本当の理由は何か。番組の終盤で「語らなかった」とナレーション。イチローも人間です。雑事も雑念もあったでしょうが、言わぬが花、のところがいい。聞かないからこそ、来年の200本が期待できます。
 松井が打席に入って構える時、バットの先端をチラッと見やり、左肩をシャキッと動かす。
 イチローが打席に入って構える時、バットを垂直に構えて一瞬止め、その先の投手を見やる。
 個々のプレーにはあまり関心ありませんが、二人のこの打席に入るときの“儀式”を見るにつけ、技術を超えた何かを感じるのは日本人だからだろうか。アメリカ人の人気の理由は、数字以外に何かあるのだろうか。