議論の盛り上がりで最後は懇親会

 以下は、前日29日掲載の続きです。私が市民会議で提出した意見に触れる前に、市民会議がどのようにして開始され、どのようにして終わったのか、について書きます。
 市内各所から集まった知らない者同士のメンバーが、どのように議論し意識を変えていったのか。議論の創造が起こり、充実した時間を味わったことについて触れておきます。


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 市民会議の最初の会議で、ブログに書いたことと同じ趣旨を述べて質したのに対し、担当課も遅れを認め、それを充足すべく努力することを率直に回答しました。その辺のやりとりについては、会議の概要全体が掲載されているHPの、第1回の会議録に、全部ではありませんが一部触れられています。
 私もその意気込みが伝わってきたので、短期間に密度の濃い不足のないような手法の提案と、効果のある議論の展開を心掛けました。会議が重なるにつれて議論の不足するケースも出てきました。その場合、どう対処するかが一つの試金石だったのですが、担当課の事務局は議論の積み残しを良しとせず、再議論に必用な時間をとってくれました。当初予定で検討が終わらなければ区切りを設けず延長の配慮も必要だ、との提案を第1回の会議で私は発言していました。結果として、11回に及ぶ会議をを行い、全体として不足感を感じさせない成果となったと思っています。
 このような場合、往々にして当初設けた予定を変えずに終了させてしまい勝ちです。マスタープランの市民会議がそうでした。まとめの段階に入って、あと2、3日の検討が必用であることを強調しました。しかし、コンサル会社が入って会議の体裁を重んじる空気の中で延長は認められず、形だけを整えた結果になってしまったと思います。その思いは提言を市長に提出する場での、「まとめの時間が必要だった」との市民会議メンバー各自の発言となりました。
 市民会議のあり方についてはいろいろな意見があることは承知していますが、市の側にある消極的姿勢をまず打破しなければなりません。日高市では他自治体に比べ市民も行政も、双方が話し合う経験が不足しています。その不足を補うべき市民参加条例が策定されましたが、現状では条例の精神は活かされず後退しているというのが実感です。その理由については書くべきことは多々ありますが、総合計画市民会議のことに戻ります。
 市民会議のメンバーは定員20名で、うち最初から自分の意志で応募した人は、私を含め3名だけでした。2人は担当課がつてを頼りに指名した人。後の15人は欠員を満たすため、担当課が区長会に推薦を依頼し、大半が“仕方なく”来た人でした。
 こういう方は最初は、当然のことながら早くお役御免となりたいという願望も強かったと思います。しかし、です。会議の回が重なるにつれ、何か雰囲気が変わってきました。自分の発言や意見が文字に固定され、パーツが組み合わさって、市から提供された案に対して修正への可能性が見えてきたことで、積極的な関与への意志が生まれました。
 このような雰囲気になってきたことは、各回の議論をまとめ、次回につなげる事務局のレスポンス、対応の早さによるものも一因かなと思います。その小気味よい議事録の返りは、市民会議メンバーの気持ちを煽り駆り立てる効果がありました。こんなに早く対応できるのは、議事録の作成を外部に依頼しているのではないかと訝りはしましたが、どうもそうではなかったようです。
 また当初、市民会議の議論の対象は「協働」に関する部分とされていました。しかし、議論の対象が全体の枠組みに拡大され、メンバーの関心と意識もそれに伴い広がりを見せることになったと思います。
 このように事務局による時間軸のタテの対応の展開と、メンバーの関心のヨコへの広がりで、提言書の完成となりました。提言書の内容もさることながら、ある程度達成感を全員が感じられる経過であったと思います。今回は土壇場になっての会議でしたが、このような市民との議論を早い段階から規模も拡大して行なうことが必要です。それによって共有の基盤が作られ、言葉だけではない協働が形作られていくと思います。
 最後の回が終了して、帰るため生涯学習センターの駐車場に出るとA氏に会いました。どちらが言い出したということもなくつぶやいた言葉。
 「このまま散開というのも寂しいなぁ」
 「そうだなぁ、みんなで一杯やるか」
 そして実現しました。市長への提言を提出した日の夜、事務局のスタッフも交えた懇親会。最近にない愉快で気持ちのいい会でした。市内全域から集まった団塊の世代は、こういう機会がなければ合うことも無かったはず。
 また、市民会議に途中から30代の若者が加わったことも大きな刺激でした。彼は、日高市のことをもっと知りたいと直接市役所に電話をかけてきて、この総合計画市民会議を紹介されたとのこと。都内に勤務しながらの出席で大変だったでしょうが、最後まで参加し懇親会にも顔を出してくれました。

 以下、8回にわたって掲載するのは、先に触れたように、私がメモで事務局に提出した意見をそのまま収録したものです。