不耕起の稲作りに情熱を燃やした日高の青年

 稲作の方法は、人によって千差万別、田の条件によってみな異なる、と言っていいほどです。しかし、基本的な考え方とそれを実行する方法の違いでいくつかのタイプに分かれます。
 農薬と化学肥料を使う従来のやり方(慣行農法といいます)は、全国ほぼ共通で基本的な違いはありません。苗の作り方や植え時で多少の違いはありますが。なぜかと言うと、農協の指導が全国に行き渡っており、稲の栽培カレンダーにしたがって、農薬散布、施肥などの日程が地域によって違いはあるものの、基本的な流れは同じだからです。農協はそうした全国標準を構築し、自分の所で扱う資材販売(農薬や肥料など)を増やそうとします。そこに日本農業の深い構造的な問題が含まれています。
 したがって、違いがあるのは有機や無農薬の方法です。最終の目的は同じ所を目指していると思いますが、やり方にいろいろな“流派”があります。どこに違いがあるか、大雑把に言うと、苗の作り方と植え方そして除草のやり方の三つではないかと思います。
 その中で最近、テレビや雑誌で取り上げられ話題になったのが「不耕起移植栽培」という方法です。この10月にも朝日新聞の求人欄のトップ記事「あの人とこんな話」に掲載されていました。この欄はとても目に付きやすく、おやっと思うような意外な人物が登場します。この「おやっ」が読者の注目を浴び、簡潔な紹介を読んだ視線がそのまま求人欄に移行する効果を狙っているようです。
 私の視線を引き付けたのは、「米作りに手間も農薬も要らない。田んぼの生物の力で育つ」「日本不耕起栽培普及会会長 岩澤信夫さん」です。

この写真の下に出ていた岩澤氏の紹介。その一部です。
「1932年生まれ。83年頃から稲の不耕起栽培の実験に着手、85年に不耕起移植栽培を提唱。89年から三菱農機と専用移植機の開発に取り組む。93年日本不耕起栽培普及会を設立、会長として現在に至る」
 岩澤氏のことはずっと前から知っていました。2003年に出版された『不耕起でよみがえる』(創林社刊)という本を4,5年前に読んだことがあります。
 水が来ない悪条件化の田んぼで、いかに農薬(除草剤)を撒かずに米作りができるか。毎年この問題で悪戦苦闘している中で、何か手掛かりがないかいろいろな本を読んだうちの一冊です。今この記事を書くにあたって探したのですがどうしても見つかりません。記憶で書きます。しかし、その記憶は非常に印象の強いものだったので、確認しなくても間違いはないはずです。
 この本の前半は生物多様性の意義を説き、生き物が豊富な田んぼがいい、ということを、ていねいに説明していきます。不耕起栽培の技術的なことはほとんど書かれていなくて、もっぱら生物資源が田んぼにどうして必要かが強調されます。
 そのことの重要性が分かって非常に参考になるのですが、後半の不耕起栽培の解説のところに来て、私は思わず「ええっ」と思いました。不耕起移植のためには田んぼの地面に余計なものがあってはならず、つるんとした地面を作るために除草剤を撒く、とあったのです。
 「何だ、これは。本末転倒だな」とその時思い、そこで本を読むのを止めました。それに移植に必要な特殊な田植え機。1社が開発途中で極めて高価な機械であるという特殊性。
 その時の印象があまりに強烈でした。確かに、耕さないで植えた苗が強靭な成長力を示すことは原理的に分かりますが、苗を移植する条件を整えるために除草剤を撒くことは、私には到底、許容できません。生物多様性との関係はどうなのか。本を読んだ印象が悪かったので、私の頭から岩澤氏の不耕起移植栽培は消えかかっていました。
 そんなとき会ったのが日高市在住のUさんでした。どんなきっかけで会ったのか思い出せません。彼はまだ20台後半、何と岩澤氏の不耕起移植栽培を勉強しているという。それも本ではなく、千葉県にある日本不耕起栽培普及会の教育田で研修を受けているというではないか。
 私はビックリしました。米作りを本気で勉強している若者が日高市にいたのです。まるで珍獣扱いですが本当に驚きました。彼は、将来は本格的に米作りをやりたいので今から勉強しておくのだ、と言いました。彼は農家出身ではありません。したがって農地は所有していません。今は警備員の仕事をして資金を貯めているという。
 うろ覚えですが、どなたかの紹介で会ったような気もします。ある年、Uさんは市民農園で作った稲の脱穀を依頼してきました。その翌年、3年くらい前だったか、今年も千葉に研修を受けにいくと話していましたが、その後、どうなったか。
 Uさんに除草剤のことを話したところ、その件はやはり問題だったが冬季たん水で解決でき、除草剤なしでできるようになったと話していました。私が本を読んだその後のことは詳しく追求していなかったので、いろいろな技術変化があったのかもしれません。
 市民農園の狭いところにビニールを敷いて即席の田んぼを作り、そこで稲を栽培したそうです。それほどの熱心な青年がいるのに、近くの田んぼは荒れた耕作放棄の状態です。自分が耕作する田んぼの悪条件もさることながら、何とか田んぼを紹介してあげようと思ったりしましたが、その後、音信不通になってしまいました。
 彼が日高市で米作りができたらどんなにいいだろうと、つくづく思います。
 もっと農地を積極的に開放すべきだと思うのです。農地を所有していることの大変さの話はよく聞きます。後継者がいないこと、維持・管理の手間、相続の問題等。多くの解決できない課題を含む農地事情なのに、農地の開放によって、つまり農業政策の転換を通して解決していこうという姿勢が、今のところ日高市行政には見えません。
 日本の最も難関な政策課題も地方自治体独自のやり方で取り組めるようになってきました。要は、農民層の権益に自ら立ち入って調整・解決しようというビジョンと気概があるかどうかの問題です。
 日本の農業は複線型の政策をいずれとらざるを得なくなります。民主党補助金だけではダメ、自民党の大規模化でもだめ、農業こそ地域の工夫が必要です。
 農地を放置しておいてどうしようもなくなって、それでは開発だ、規制緩和だ、売ってしまえばいい、というのでは公共も公益もない無行政ではないかと思います。
 話がそれました。Uさん、どこかで米作りをやっているだろうか。除草剤の問題が冬季たん水で解決できたとしても、そこにはまた、水田農業の基本的問題である、やっかいな水利の問題があります。また田植え機は相変わらず高価だと思います。
 こういう課題を彼はどう考えているんだろうか。