朽ちる木


  10年前に畑を借りた時に切った木の株もと。その時の畑の状態はシノとクワの木が茂る草原でした。そこにケヤキの大木が数本ありました。チェーンソーを購入し、草刈機とともに伐採・草刈り作業。その後、耕運機を購入して整地、耕運。機械を駆使しての開墾作業はやりがいがあり、後に続く野菜栽培を想像するとわくわくする思いでした。“農業をやるんだ、できる”という希望に胸が膨らみました。
 この切り株は、荒地から畑を復活させた時の汗と楽しい挑戦を思い出させてくれます。今日草を刈った後に現れたのを見て驚きました。
 昨年までは固い木質が残っていたのが、外観を保っていながら手を触れるとぼろぼろと崩れる状態です。内部も粉のように柔らかく、まさに“朽ち果てる”寸前です。この“朽ち果てる”ことこそ、自然の真実・摂理ではないかと思います。そして朽ち果てさせていくものが微生物であり、もろもろの虫たちの世界です。私たちは、彼らの宇宙にどれほどの理解を持っているのか? 未知の世界は、天空の宇宙だけではありません。
 有機物としての人間も朽ち果てる、文明は朽ち果てずに存続していくのか、と思ってしまいます。 
 こちらは隣の切り株があったところ。こちらも朽ちていたので壊したところ、カブトムシの幼虫が何匹かいました。他にもアリやハサミムシ、クモ、たくさんの虫が出てきました。スズムシもいました。

 1個の朽ちた切り株は、虫たちの棲みか、一つの世界を構成しています。そうであれば、壊さない方がよかった。虫たちは朽ちた木が好きなのです。残っている切り株はそっとしておこう。