忘年会で天皇陛下についての話題

ボランティアグループの忘年会。メンバーの年齢は、60台代後半から70代半ばまで。
ボケ防止だと言いながら、諸々の話題を提起し調べた成果を報告しあう。高齢者ならではの視点と背負ってきた人生経験による見方が面白くもあり非常に参考になります。
昨日の天皇誕生日に因んで、天皇陛下についての話題となりました。大方の人が天皇に敬愛の念を抱いています。私も同じです。戦争に突き進んだ状況の中での昭和天皇に対しては別の思いがありますが、14歳上ながら戦後を共に歩んできたと感じられる現天皇陛下に対しては、親愛、敬愛ということを強く感じます。
“敬愛・親愛”の言葉以外の表現はあるかと思い調べたが、やはり、これしか無さそうです。あーだ、こうだの理屈を付けなくても良い自然な気持ちは、親しみを込めた敬う気持ちです。また、あのお年になられても公務に邁進される姿には、思わずTV画面に見入ってしまいます。
ご発言には常に、国民が安心して暮らせる社会を願う気持ちがにじみ出ています。災害に対しては具体的な発言と行動で示されていますが、平和についても、節目のご発言では必ず触れられています。抑制されたお言葉の中にその思いが込められていることが感じられ、両陛下に対して感謝の思いが募ります。
昨日の天皇陛下のお言葉。短いながら、日本の進路についての、これ以上ない最高の表現だと思います。
「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう,常により良い日本をつくる努力を続けることが,残された私どもに課された義務であり,後に来る時代への責任であると思います。そして,これからの日本のつつがない発展を求めていくときに,日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています。」(宮内庁HP)
皇后陛下、平成25年誕生日の記者会見のご発言の中で。
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」(同)
天皇、皇后両陛下が望まれていることは、敗戦の不幸を踏まえての国家としての品格と倫理のように思えます。こういう思いを忖度し歴史的に検証したりすることがネット上で行なわれているようですが、戦後第一世代としての私には、深い含蓄ある言葉として素直に噛みしめることが出来ます。
人それぞれの取りようですが、平和と言いながら争いに武器をとって積極的に関わろうとする首相の飾った言葉のレトリックが、権力と欲望剥き出しの貧相さを自然に露わにさせてしまっています。対置させて語ることがそもそも間違いかもしれませんが、平和という言葉で語られる以上、我々国民のこころに届く力を持っているかどうか、私には自明です。