仕事の詰めの失敗 

 浅田真央ちゃんのエッセー集が近々出版される予定だったが、中止されたという。数日前の新聞に小さな記事が出ていました。
 理由は著者の意に沿わないポスターで宣伝が行われようとしたとのこと。本人の弁は「競技生活を通してのメッセージブックとして1年かけて制作を進めていたものだが、本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められた」(朝日新聞1月13日)とある。
 記事を読んで、思わず「あーっ、やっちゃったなー」という感じです。
 これは、出版の最終工程での出来事。もうすぐ刊行に漕ぎつけられる、行けるぞ売れるぞ、という期待と喜びを胸に秘めつつ、かつ最も気を引き締めなければならない所です。
 この段階になると、工程的には編集の手を離れ、営業、宣伝戦略の企画に入っています。その打合せと決定のプロセスには、営業担当と営業部長、宣伝担当と宣伝部長、社長秘書と社長、それに編集部長とケースバイケースで担当編集者、さらに外部の広告会社等、多様な意思の流れが入ってきます。
 もちろん出版社の規模と特徴によって、この参加プレイヤーと打合せの規模も変わってきます。比較的大きな版元でも、社長の才覚で伸びてきた出版社は、社長の一声でいくだろうし、合議でいくかもしれない。それは分かりませんが、要するに、一般的に最後の詰めの段階での意思決定の問題です。このエッセーの出版社は、元は特定分野の版元であったが、近年一般書籍でぐんぐん伸びてきた大手です。
 最後の工程は、本当に注意しなければいけないところ。
 たとえ社長、編集長の発案、宣伝のグッドアイディアであろうと、著者の了解が必要です。著者がビッグネームであればなお更。今回の件は、この部分を怠ってしまったと考えられます。
 そんな重要なことがなぜ、と思うかもしれないが、そこが仕事の魔物が潜むところです。日常的に行われているプロセスでもスポンと飛んでしまうことが。めったにあることではないのだが、起こり得る。起これば最終であるが故に大事になってしまう。
 今回は宣伝ポスターの文言が問題であったという。この段階での広告キャッチコピーは、ポスターをはじめコマーシャル等いろいろな所に使われます。もしかして、本の本体の帯にも使われているかもしれない。取次会社の予告にはもう既に使われているのが普通です。
 もし帯にも刷り込んでしまってあれば、帯の印刷やり直し、掛け替え、製本のやり直しです。このビッグネームですから、半端な部数ではないはず。テレビ・雑誌のコマーシャルも作り直し。どの段階、どの程度かによって“怪我”の程度が変わるが、「延期」ではなく、「出版中止」だという。これは、著者の出版意思も含め、相当な大けがの可能性があります。
 うーん、恐ろしい。何度かの冷や汗が思い出されます。
 いろいろな要素があるので一概には言えません。「仕事の最後の詰め」なんて当たり前過ぎることですが、これが言葉でなく個人の日常の身のこなしになっているか、組織としての動きとなっているか、いろいろな手法でプロセスと決定の管理が行われます。
 担当のチェックに組織のチェックが入り、アイディア、発想の良さ・鮮度を失わずに活かせるか――官民を問わずの人と組織の永遠の課題です。


 もう一つの問題、これは仕事の問題とは違う角度を含む微妙なところです。
 浅田真央ちゃん(何か友達みたいですが、「氏」という感じではないしね)が問題にしたのは、宣伝に自分の思いとは異なる言葉が使われていた、ということです。それは何か。
 「ママ、ほんとうにありがとう」
 出版中止としたわけですから、相当な葛藤が込められているはずです。その背景は私には分かりません。世間一般常識からすれば、何の問題もないではないかと思われますが、人間の心理は分かりません。自分のことや日常の人間関係でも、これはよくあること。
 先入観で判断しないこと。これも仕事のみならず何でも「当ったり前」のことです。そこが、また難しい。先入観で自分が批判されているとしたら何でか、と思うし、自分も先入観で判断しているかもしれない。
 個人レベルでは日常茶飯事だが、仕事となったら人と組織全体に関わることだから、これも大けがの元です。今回の場合もある先入観があったのではないかと推察されます。
 彼女が外国での競技を終えて病床の母親に駆け付けたが間に合わず、という場面がテレビでよく流されました。その時の彼女の談話に、この宣伝文句と同じような言葉があったように思います(確信は持てない。大雑把な記憶ですが)。
 このことから、キャッチコピーの担当は、この著者に最もふさわしく読者に訴える力を持つ言葉として選び、それに関係者も疑いを持たなかった。若い者には理解できない著者の心理、人間関係のあや、駆け引き、利益の配分、利害関係など、出版の過程ではいろいろなことが発生しますが、それを補うチェックは経験や出版社の知恵に基づいて普通は行われますが、仕事の死角として抜けることも起こり得る。
 「ママ、ほんとうにありがとう」ではなかった。もしかしたら、気持はこの通りなのかもしれない。しかし、その言葉を使われることへの、何か抵抗があったのです。
 先入観は恐ろしいし、人の心は容易には窺い知れない。仕事の詰めは難しい。