どぶ板の続き

 山口教授のどぶ板に関する文章の続きで、一番、肝心なところです。
「確かに、お祭りを回って住民に愛想を振りまくことが政治家の必須条件と言われれば、誰しもおかしいなあと思うだろう。しかし、人々が何に苦しんでいるのか、どのような助けを必要としているかを知ることは、政治の原点である。小泉時代にはすっかり悪役扱いされたが、鈴木宗男亀井静香のほうが、他者に対する共感能力という点では、小泉やその手下よりも、はるかに立派な政治家である」
 山口教授が、「風に煽られて当選し机上の空論を言う政治家」ではなく、「地域を回り注文や要求を聞く政治家」をよしとする論を展開した後、その例として挙げた文章がこれです。
 「えーっ、山口先生、本当にそうですか」と思ってしまった。
 ――小泉首相は、地域の代表としての庶民の世話を焼く旧来の政治家に代えて、選挙区事情には通じていないが若く偏差値の高い地域とは関係のない政治家を登場させた。まだろっこしい間接民主主義に我慢できない国民が求めたのは、小泉とつながっている気分になれる疑似直接性なのだ――
 こういう議論を展開した後に、こう言います(要旨)。
――しかし、生活を悪化させた小泉政治を人々は考え直し始めた。いま政治家に求められるのは、生身の人間の苦しみや悩みを理解し、それを政治の場に伝えることである――
 この後に最初に引用した「 」内の文章がきます。これら文章が収められている文節のタイトルは「地べたをはいずり回ることの重要性」で、章のタイトルは「頭のいい政治家を信用するな」です。
 違うな、というのが率直な感想です。学者が現実を分析する際に使う2項対立には気をつけないといけません。余計なものをそぎ落としてきれいにいけば分析に成功し、読者をうならせるのでしょうが、うまく行かないと、結論はおかしなものになります。山口教授の文章はその典型で、苦し紛れに出した結論が、鈴木宗男であり、亀井静香であるように思えます。教授のどぶ板に関する所は、学者らしい現実分析と理想への香りがあまり感じられませんでした。
 章のタイトル「頭のいい政治家を信用するな」などは、最後の仕上げ段階で、若い女性編集者が営業用に変えた見出しに違いありません。内容もさることながら、編集者に最後に変な方向に引きずられてしまうと、おかしな本になってしまいます。
 しかし、そういう点は見えますが、『若者のための政治マニュアル』は、政治とは何かについて、若葉マークのおじさんにも、原理・原則をやさしく解説したとてもいい本でした。