商工会賀詞交歓会

 日高市商工会の賀詞交換会。会費1000円の立食パーティーでした。商工会の躍進は、昨年の50周年の時に聞いておりましたが、その昇り調子は止まることなく、組織率は全国一という。大したものです。こういう成果は一朝一夕で成るものではなく、日ごろの地道な努力の賜物であろうと思います。
 日本政策金融公庫の川越支店長が、設備資金と運転資金の有利な貸し出し条件を話していました。組織率の上昇によって、、こういう経済・金融情報が地域に素早く伝わることになるのでしょう。
 市長も挨拶されました。その内容で、いま記憶に残っているのは3つです。一つは、日高市の景観がよいこと。第二に、自治体ランキングのこと。第三に、健全財政のこと。民主主義の世界的行きづまりとか、他の言葉も断片的に記憶にありますが、それを中身のある内容に拡張することは記憶が確かでなく自信がないので、触れないことにします。
 日高市の景観がいいことについては、住みやすさのいい条件になっているということはそのとおりです。
 例の自治体ランキングについては、昨年から盛んに引き合いに出されていました。私はそれほど公的な席で市長の話を聞くわけではありませんが、これで4回目くらい。これもデータの内実を吟味すればいろいろあるでしょうが、東洋経済の基準で評価されたことは日高市にとって誇らしいことです。
 私が注目したことは、健全財政への市長の指向です。
 「節約・倹約に努めて後世世代に負担を残さない」ということ。「 」内の言葉はほぼ発言の通りだとおもいます。大沢市長の本質・根源は、ここにあるのではないかと改めて思いました。いろいろな財政項目面で健全性が証明されていることを述べています。
 節約・倹約は、公財政が求めなければならない当然のことですが、これを日常的に行うことの考え方と手段に市長の特色が出ているのではないか。職員の給与・定員削減、いくつかの課長職の廃止、自身の報酬カット等、人的、組織的節約・倹約は、ずいぶん行われていると思います。市役所内部のことは分からないので、多分そうではないのかと思います。
 しかし、それらのことは市役所内で完結することであり、これが市政全体であったらどうなのか。
 予算の配分検討、事業の仕分け・統廃合、補助金見直し等から始まる大きな枠組みでの資源の節約・倹約はどうなのか。
 これらを実現させる行政改革はどうなのか。
 それらを実現させながらの、市民サービスの充実と市民全体の資産構築はどうなのか。
 各分野の計画行政をどのように連携・充実させて、市民生活の向上を図るか。
 こういう話となったら、方向性がよく見えないのです。市長自身の発信、メッセージも極端に少ない。節約・倹約を言うのはいい。しかし市政のリーダーとしてのビジョンなりをしっかり示してほしい、と多くの市民が漠然と思っているのではないかと思うのです。
 ごみの有料化も、単に「出(いずる)を制する」ところの節約・倹約精神の体現ではないか。日高市の廃棄物行政と行政改革大綱に位置づけられた経緯をしっかりと眺めると、どうもそうではないかと思う。
 市民に負担を課して、てっとり早く経費節約と、あわよくば減量を一石二鳥で実現させてしまおう、という魂胆です。そこには、これからの市民社会の一番の大元である、市民も対等に仕事を担うパートナーと見る発想はない。私から見ると、説明とメッセージなき逆さま状態の節約・倹約論が市政のふくらみを損なっているのではないかと思う。
 これからは、市民はお願い、協力を仰ぐ存在ではない。市政全体の税金の節約と資源の再配分をすすめるのであれば、責任を持って発言・行動するパートナー市民を応援しなければならない。結局は、それが長い目で見て、人間性市民社会の原理に基づく強力な節約に通じるのでなないかと思うのです。そのためには自分たちだけが決めるという発想を改め、情報の完全公開と十分な説明が必要です。この辺は、もっと緻密な議論が必要ですが、直感的にはそう思います。
 民主主義の崩壊でも機能不全でもない、ただリーダーの努力不足にすぎない、と思う。お金をとることで負担を担わせようとする日高市的短絡思想の上に立つ節約・倹約が、市民が喜びを持って住める地域づくりにつながるのだろうか、と考えざるを得ません。