十数年ぶりの友人

 十数年ぶりに友人から電話があり、武蔵台病院4階のレストランで会いました。
 彼は久しぶりに他所から武蔵台に帰ってきてまだ数カ月。お互いこれまでの生活や来し方を振り返り、偶然に左右されながらも今があることを喜び合いました。病気や怪我に直面し、あるいは少しの判断の違いで全く違った人生もあり得たことを想像しながら過去を振り返るのも滅多にないことであり、楽しい会話でした。
 今年は遅い秋です。高麗の山々は今が紅葉の盛りで、窓外には突き抜ける青空の下に美しい景色が広がっています。彼はこんな所にレストランがあることを驚き、武蔵台も変わったものだと言います。



 何よりも変わったことに驚いたのは、私が議員になっていたことでした。親しくしていたのは30代。それから約30年、人間は変わらなくても、生活の環境や身上が変わるのには十分な時間ですが、私の田舎政治家転進にはビックリしたようです。
 第二の“青春”は土とともにある野良生活、と公言していた人間がいかに転進したか。これも滅多に語ることのない心境の変化を無防備に吐露することは心地よい。
 そして、さぁ、来ました。やはり、ここに至りました。
 「君がなぜ民主党なんだ。あんなだらしの無い政党に所属しているのは理解できない」
 この問いかけに、今まで何度遭遇したことだろう。
 私が言ったこと。
 政党のレッテルを身に着けたのは、若い友人の選挙の応援のためであったこと。それが直接のきっかけであったが、レッテルでオールオアナッシングのように言うのは、少し違うのではないかと。
 だらしの無さもわれわれの覚醒に一役買っているはずだ。
 すべてベスト、ベターで行くはずがない。批判真っ盛りも心地よき民主主義だ。
 ジグザグでも退歩の中でも、多少のことが進んでいるはずだ。
 世界を見よ、不気味な優秀国家ドイツ以外は、みな同じようなものだ。
 身に着けたレッテルであれば、ボロでも嫌でも大局から考える、それは必要なことだし役立っている。
 等々、口の端に上る言葉を出任せに面白おかしくしゃべったが、最後に、まじめに言った。
 朝日新聞取っているなら、今日の特集「政治時評2011」を呼んでみてほしい。あの上野千鶴子さん、ジェンダーを語るときは、何か怖い感じがして余り読む気にはならなかったのだが、今日はピッタリコン、全く素直に頭から身体の中に落ちた。あそこに自分の言いたいことが全てあるよ。
 こう言ってごまかした。

 夜は民主党第9区の総会と懇親会。そこで各市の市会議員も挨拶を行った。総会と懇親会の2回。
 懇親会がお開きになって帰り支度をしていると、初老の男性が遠くから私を目がけてやってきました。
 「きみの挨拶には感動したよ。あれでいいんだ。あれが基本だよ」
 名詞を見れば日高ではない、狭山の人です。わざわざ他市の議員を見つけて、言葉を掛けていただいたのは嬉しかった。やはり見ている人は見ているのです。背筋を真っ直ぐにして玄関に向かいました。
思いがけず声をかけていただき、来たかいがあったと心から嬉しく思いました。