農作業の時間がない


 畑の苗箱の維持はかろうじて行っていますが、他の農作業はほとんど出来ていません。田んぼに直播をするために芽出したモミは、全部枯死させてしまいました。
 畑の草刈りも一部ようやく着手、少しずつです。草を刈っていると、土の柔らかさが足裏に伝わってきます。自然の微生物や小動物の仕事の結果としての自然耕です。
 休耕の田も畑も草のままというのは、本当は悪いことではありません。ただ農地の体裁を保たないまで放置してしまうことが問題なのです。草を刈って草はらにしておけば、環境上も農地保存という点からも利点はたくさんあります。
 年中、トラクターでガラガラとかき回している畑をよく見かけますが、微生物も小動物も棲まない死の世界です。草を忌み嫌う考えは、従来の農薬と肥料に頼る農業からすれば当然なのですが、その考えの転換を図ることは非常にむずかしい。
 この草にモアをかけて乾燥させ、トラクターか耕運機を一往復させれば良い畝ができるはず。全面耕起せず、列状に耕し畝間は草のままにしておく。そして、田んぼに積んである稲わらと山の落ち葉を畝に被せれば完了。
 その上から噴霧器か動噴で天恵緑汁を散布すれば、落ち葉や稲わらの下で生息する共同作業者・友達(微生物・小動物)の快適環境ができます。この環境を作れば作物は自分で育ちます。もちろん肥料なしで生きる苗を作ることが必要で、そのためには自分で種をとる――この循環を完結させることです。
 これで11月までとれる夏野菜の畝ができるというイメージです。微生物との共同作業をイメージするのは作業前の楽しい想像です。そこまで出来るかどうか?
 庭で合間を見て苗づくりをしています。カボチャとズッキーニとピーマン・伏見甘長。ズッキーニ以外は自分で取った種です。
 カボチャは試しに播いた「ボッチャン」。F1なので果たして坊ちゃんが来てくれるかどうか、冗談ですが、先祖のおじさんが来たりして……。
 種は適期に播いておけば芽は出ますが、次は適期に畑に移植です。そこまで出来るかどうか、心もとありません。この楽しみがないとエネルギーが湧いてきません。