無投票当選について

 無投票に伴うポスターの掲示等の問題について書きました。この問題については、3人の方から意見や提案をいただきました。
 無投票当選そのものが問題であり、信任投票等の有権者の判断が不可欠という意見およびポスターの1日での撤去等、当選者についての情報が全く欠ける状況を選管が作りだしているのは問題だという意見です。
 後者の無投票当選者の情報が欠落してしまって市民には分からないという問題について、埼玉県の選管に見解を聞いてみました。その結果、いろいろなことが分かりました。最初にその感想を記します。
 まず第一に、なるほど、条例としての法的根拠はやはりあるんだ、という納得感。やはりお役所です。裏付けはちゃんとあるんです。
 第二に、そのお役所の理屈は、市民的常識から言えば随分かけ離れているなぁ、という思いです。市民・有権者に知らせるべきことを知らせない、「禁止」の思想で固められた公職選挙法の時代後れを実感します。
 さて、役所の法的根拠はこうなります。法的な言葉づかいの正確さには自信がないので、趣旨を読みとっていただければ有り難いです。何せ、告示も4種類もあって使い分けされるようですし。。
 ■法的な裏付けがあること
 告示行為:選挙管理委員会が行う一般への周知で、条例で定められており選挙の最初と最後を手続き的に宣言することです。つまり、立候補者がそろったので投票日まで選挙運動を行ってください――これが選挙開始の告示。開票によって選挙の結果が出ました――これが選挙終了の告示。それぞれ文書で一般に知らせます。
 これは、市役所の掲示板に公の文書として紙1枚を掲示することで、今回の無投票当選でもこれが行われているはずです。17日の告示日に立候補の届け出を受理し、24日の投票日に立会人の出席のもとに選挙会という手続きを行って当選を確定する――このことは条例の定めがあり文書で一般に知らせます。法的に裏付けられた選挙管理委員会の行為はこの二つだけということです。
 ■上記二つ以外のことに関しては特に定めがないので、市町村の裁量に任せられているとのこと。したがって、ポスターをいつ撤去するか、広報に記事をいつ出すかどうかについても同様です。
 このことから、日高市のように1日で撤去、滑川町のように全日掲示のようなばらつきが出てきます。選挙公報もどの無投票当選の自治体でも発行しないで一致、広報への掲載はいずれも行うが日高市は通常は6月、他の無投票の自治体は5月と違っていますが、差し支えないということになります(今回、日高市は市民の要望もあって氏名の広報掲載は5月1日に行われました)。
 以上、大体このようなことですが、法的な根拠の基礎には、知らせないでいいという考え方があるように思えます。その理由は、ポスター掲示選挙公報も投票のための選挙活動であるとされていることです。いずれについても、あれだけ厳重な取り決めがあるのに、選挙活動だから当選者について周知する必要がないというのもおかしいと思います。
 したがって、無投票となった場合は、選挙活動が必要無くなったのだから“すみやかに”撤去すべし、立候補者の政策を知らせる公報も必要なし、となります。滑川町のように、市民に周知すべきと予定された投票日までポスターを掲示することは必要なし、ということになります。
 役所の行動には、一般的に法的な根拠があるのが普通です。無投票当選にもこれだけの背景があることが分かりました。しかし、地方自治地方主権の大きな枠組みを出すまでもなく、知らせないで済ましてしまうことは、何としてもおかしなことです。
 今後、役所の論理と市民的常識のぶつかり合いは、いろいろな所で出てくると思います。事実と法に則っりながら、常識と時代の変化に即した解決への努力を最大限行うことが重要だと改めて思いました。
なお、以上の件に関して、中央選管および県選管に意見または提議を送っておくことにしました。何人かでも、選挙制度の改革に繋がるものとして表明しておくことは意義があります。