再び議員削減のこと

 先日、川田虎男さんの応援に来た若い議員の演説のうまさについて書きました。彼らは、みな議員削減に熱心です。それはなぜなのか、演説のうまさもさることながら、私の関心はむしろこちらにあります。
 若い議員だけではありません、風に吹かれる麦の穂のように多くの議員が削減になびいているように見えます。議員削減をせよ、という圧力はますます高くなっています。この見えない圧力を市民の要望と捉えて、今度の統一選挙では、削減を掲げて選挙を行った立候補者も多かったようです。票になりそうだとすれば掲げたくなるかもしれません。
 議員削減についてアンケートをとると、大差で賛成というのが普通です。市民・有権者がどこまで背景を理解して賛成としているのか、一つのポイントです。
 削減圧力という空気の正体は何か、このことについては余り触れられていないと思います。言葉のみが踊って、それを言うことがあたかも正義の証であるかのような風潮になるのはどうかと思い、削減と何ぞや、といつも気にかかっていました。
 “ゆうせいみんえいかー”と言われて“そーだ、そーだ”となって、その後引き返しました。“ぎいんさくげーん”と言われて“そーだ、そーだ”となってしまっては、引返すのは大変です。ここは意味を考えつつ、ゆっくりと行きたいものです。
 因みに、私は絶対、削減に反対と言っているわけではありません。県などの広域に関しては削減した方がいいと思うし、国の場合はもちろん削減した方がいいです。しかし、こと基礎自治体に関しては、地域の社会と生活に直接かかわる場として、間接民主主義や二元代表の本来の意義を考えないで削減に走っては危険だと思うのです。議論を徹底的にし尽し、その結果、削減であればいいと思うのです。
 議員削減という圧力を発生させている原因は何か、を考えると、いくつかの異なる原因があります。
 ①地方議会は役にたっていない、本来の機能を発揮せず責任も果たしていない。したがって議員も多すぎる、報 酬も高すぎる。こんな議会はいらない、削減せよ。
 ②行政も行財政改革を行って節約に努めているのだから、議会も議員削減や報酬削減が必要だ。
 ③議員は専門家の少数精鋭でやればいい。専門家には報酬をアップすべきだ。
 大体、この3つが理由かと思いますが、複合している場合もあります。日本全国に蔓延しているのはもちろん①です。
 ②は一般の市民はあまり言わないようです。これは、もっぱら確たる根拠もなく迎合削減をいう議員のあげる理由になっている感がします。実際、行財政改革は中央、地方を問わず大きな目標になっており、日高市においても、国の指針に基づいて熱心に推進している様子が形式的には分かります。また③の前向上として言われる場合もあります。
 本来の役割も責任にも言及しないで、議会自身が執行部の方針に合わせてくるのですから、行政にとってはこんな都合のいいことはないでしょう。これを議員に合唱させて削減を図り、結果的に多少の経費削減は実現して、さらに議会弱体となってしまう可能性があります。削減して数が減ればそれで議会の機能があがるかと言えば、そう簡単なことではないと思います。
 ここまで書いて息が切れてしまいました。③は後で書くことにします。もっと整理して書かなければいけないのですが、思いつくままの記事です。考え方の整理に役立てばいいと思います。