改めて考えた被災地での言葉

 被災地の惨状には言葉もありません。この破壊のすさまじさに、自然の力の恐ろしさ・巨大さに、ただただ沈黙し恐れおののくばかりです。
 泥の下に、がれきの下に、まだ「万」という人々が埋まっていることを思うと、家族の心中はいかばかりか。下校時の教室が津波に襲われ、たくさんの子供の命が失われました。胸がつぶれる思いです。
 メディアもいろいろな局面を伝えなければならないから、報道の方向も悲しみと喪失から復活・復興に重点が移っていくのでしょうが、家族を失った人々の悲しみは、時間の経過とともに現実を受け入れなければならない新たな悲しみと向き合うことになります。
 がれきの上を僅かな手掛かりを求めて歩き回り、各地の避難所を情報を求めて移動する――それでも何も具体的なものが得られない状況に焦燥感が伝わってきます。
 復興という地域全体のマスとしての対応がこれから目標になってくるのでしょうが、個々の悲しみと喪失をどう癒していくのか心配です。無事だったことと有事だったことの事情は、個々の家族、個々の地域でみな違います。そっと、ほっと胸をなでおろす人、深く悲しみが沈潜していく人、これが現実だと思います。
 地域全体でこれをいっしょに引きうけていくしかないことが分かります。避難の場所が分散しても、地域を再興していくことが課題になっています。
 ある集落の避難の事情をテレビで見ました。小さな数十人の小さな集落でしたが、みないっしょに行くのか、事情に応じて分散して避難するのか、町から決断を求められ、結局、分散になりました。
 そして出発の日、区長だったか女性のリーダーが言いました。
 「必ず帰ってきようね。自分たちでもう一度まちをつくろう。他人はつくってくれない、つくるのは自分たちなんだから」と。
 普段は手あかがついた言葉にしか聞こえなかったものが、苛酷な現実を前にして言われると、その意味を改めて自分自身の問題として真剣に考えます。