TPPに関する銀座農業塾第2回――私の結論

 さて、自分の考えはどうなったかです。一つ一つの確認の論証とプロセスに触れるのは大変なので、ここでは結論のみを書きます。私の問題意識としては次のようなことです。
農水省のアンケートでは常に、国産を求める人の割合が約8割であるという事実から、国産愛好に国民の指向が強いので影響は言われているほどではないのではないか。
・現状の農業の衰退を考えれば、その原因を作りだし回復できないでいる戦後農政を根本から変えるチャンス、TPPをてこにしての改革が可能か。金融危機から立ち直った韓国の開国の方針は参考にならないのか。
・この衰退を作った当事者である農業サイドが、根本的議論を抜きにして「反対」を言うなら、6兆円を投じて農業改革に何も貢献しなかったガットウルグァイラウンドと同じことになる。
・形としては、コメ農家の大規模化と地産地消と環境と国土保全を担う中小農家の区別をはっきりさせた複線化を指向し、さらに有機農業の網を被せて、国産安全栽培への国民の要望に応える。
 結論を言えばこうなります。
・例外なき貿易自由化を実現させるTPPは、格差を増幅し国の内実を根本的に変えてしまう危険が確かにある、ということ。こう書くと、何だそんなことも分からなかったのか、と言われるかもしれない。もちろん、そういう議論はよく知ってはいたが、何度も書くように、最初から「そうだ!」の立場をとりませんでした。
格差の拡大した韓国のいまの社会事情を知ると、ものとかねの100パーセント行き来自由の社会は、是正しようにも国内政策ではどうしようにも対処できない枠組みをがっちり作られてしまうことになりそうです。テレビは一断面ということは分かっていますが、最近NHKTVが韓国の格差事情を特集していました。
・TPPの議論は農業の問題だけではなく、全体を24分野に分かれた経済の全体議論であることはあまり知られていないし、一般の新聞、テレビでもほとんど報道されていません。100パーセント、例外なき自由化は農業だけではなく、お金の流れや働き方に関わる生活の総体に関わることだということです。だとすれば、アメリカを主とする外国資本に経済を主導され、働く形態も当然、その意向が働く仕組みとなって今以上の国民の格差となって現れ、高齢化社会の福祉を実現する方向が阻害されるかもしれない。主権を地域に戻して自分たちで工夫せよ、と言っても地域での工夫の余地がない日本社会が国際的にがんじがらめにされた形でできてしまうのかもしれません。
・TPPの議論は対アメリカに対する交渉であるということです。日本はアジア各国との経済共同体を作ることを目的にしていますが、これをアメリカはそうはさせないと邪魔をして、自国経済の利益を優先してそこに組み込もうとしていることです。この危険な交渉を賛否分かれる国内の事情を無視して一気に向かうのは国民を危険にさらすことになります。自給率を達成し環境農業への保護が徹底しているヨーロッパでさえアメリカとの自由貿易交渉に8年かかったのです。
 TPPではなくFTPであれば、まだ例外的品目を認める余地があるから、国際的立場を考慮するならFTPを考えるべき、と蔦谷氏は述べていました。韓国はFTPでTPPではないのですが、それでもあれほどの変貌ですから、FTPでもダメだとする議論もあります。
・しかし、そうは言っても、今の日本農業の現状を見れば、国民への食料供給と国土の保全という点から役割を果たしていないのは事実です。身近な日高市をみても、良好な消費の背景があるのに、ニーズを満たす一歩進んだ地産地消は進まず、後継者不足と農地の荒廃は解消していません。そういう実態にそっと忍びより、農地流動化と地域発展という名目で、政治家が農地の投機化を促す可能性が常にあります。さらに地域主権という権限移譲は、国土保全という大目標に反して、制度の機能不全によって荒廃を一層進める結果になっているように見受けられるのです。そういう中で農業権益を保護しながら法と制度を温存する政策をとり続ければ自由化とはまた別の危険に国民をさらしていることになります。私が思考の軸をずらして考えたことは、実はここにあります。
・講師の蔦谷氏が目指す農業の形はこうです。
「多様な農業を多様な担い手が担っていくことを基本にしながらも、土地利用型農業を中心に高度技術集約型農業も含めて少数の大規模な担い手がこれらを担い、併せてたくさんの自給的農家や市民参画型農家が小規模ながらも地域農業を担う」。
 これは、私が考える農業の形と同じです。この形がどのように形成されていくのか、。蔦谷氏はこのような農業への道筋として生産者と消費者の連携による「協同」等の組合主義方法をあげています。
 これは、今までも実践されてきた古典的方法です。これも私は賛成です。自然農業の理論は、この方法が根底にある技術体系だからよく分かります。しかし、この方向に行くには何か突破しなければならない関門があるように思います。それは何のか?
 その答えを、蔦氏の言う「協同」だけに求めるとすれば、はたして、そういう古典的理念だけに頼っていていいのだろうか、という思いがあります。そこに、より革新的政策の創生と選択があってしかるべきだと思います。農業学者をはじめすべての社会科学が、その議論に参加して国民的議論を巻き起こしてほしいことを痛感します。
 結局、堂々巡りをした感がありますが、23分野あるTPPのことを農業だけから予測するするのは不可能です。農業対貿易自由化の問題は、国の形を変えるほどのショックがあるから国民的議論を起こさなければならないのに十分ではありません。それを6月までというのは乱暴であることは確かです。
 最後に、朝日新聞の記者が発言しました。
 「明日の朝刊でTPP大論争の特集をやります」と。読んでみたが、それ程参考にはならなかった。やはり議論はかみ合っていない。