棒が手に入った!

 はざがけ2日目。どんどん掛けていかなければならないのですが、棒が足りません。昨日は、とりあえず女影の田んぼ用の棒を持ってきて始めましたが、これ以上持ってきても、結局足らなくなるだけ。さて、どうしようか。

 棒が不足することは分かっていましたから、この日まで調達を心がけてきました。しかし、ものがあってもいろいろな理由で動かせず、動かせるとなったものは使い物にならず、とママなりませんでした。結局、今日まで用意できなかったのです。そして、あの時のことを思い出しました。
 この間、嵐山町の国立女性会館に行ったことをブログに書きました(新しい公共と「あっ工藤だ」http://d.hatena.ne.jp/hideoyok/20101021)。その帰りのことです。川に掛かる橋を渡る手前にある広い森の中に神社があるのに気付き、見学を兼ねてお参りに寄りました。観光看板の説明を読むと、ここは南北朝時代に期限をさかのぼる由緒ある神社です。
 お参りをして鳥居の近くに止めた軽トラに戻って乗り込もうとしたとき、ふと鳥居前の砂利道の先を見ました。視線の先に、大量の丸太が積まれているトタン屋根の小屋があります。見た瞬間、これは、はざがけ用の棒だと分かりました。大量の棒です。
 すぐ目と鼻の先、見に行きました。一部崩れて雨にかかっているが、全体に保存は悪くない。しかも質がいい。触ってみて分かります。質感が硬く虫が食っていない。それに長い、こんな長尺の棒はあまり見かけません。
これはすごい。ほこりの溜まり具合から見て使っていないことは明らかです。頭の中に蛍光灯が点きました。これが使えたらいいなぁ、と。
 そして今日。棒が無ければあるところに行けばいい、あの棒に一るの望みを掛けました。望みが適うかどうかはまったく分かりませんが、行って聞いてみて確認してみようという気持ちになりました。駄目であっても無駄足にはなりません。何らかの対話があって、あの棒のことが分かればそれはそれで面白いことです。
 嵐山まで1時間。鳥居前に着てみると、何と小屋は壊されて棒が移動され、長いのと短いのに移動・整理されていました。これは使うのかもしれない、と一瞬思いました。しんと静まり返った屋敷の母屋に声を掛けると、奥様が出てこられました。
 事情を話すと、あの棒はもう使い道はない、崩れてきたので小屋を壊し整理した、燃やしてしまうかもしれない、とのこと。そして、棒の由来と地域の由来を話してくださいました。棒は、はざがけにも使ったようですが、建築の足場用の用途でもあったようです。
 好きなだけお持ちください、と言って下さいました。そして、私の米作りの話を聞きながら農作業をやるのが何よりも健康にいい、と頷かれます。長尺ものはそのまま積んで帰るのは無理とみて、脚用の短いものと中くらいの長さのものを選んで積みました。軽トラに満載です。これだけあれば、新しい田んぼ用には間に合うでしょう。

 いきなり来た私の話を聞いて理解され、どうぞと言って下さったご好意に、本当に有難く思いました。末永く大切に使っていきます。先人が使ったこういう古い資材や道具を使えるのは、そこに詰まった知恵や汗や努力を受け継ぐことで、私の最も喜びとするところ。帰途、ハンドルにずしりと感じる重みに嬉しさが込み上げてきました。
 たかが棒切れと言う無かれ、私にとってはこれ以上無いくらいの嬉しい宝物。いただいた棒は今日から私の“相棒”となりました。