自治カフェの帰りに噂のカフェに寄る


コーヒー通の友人からかねて、日高と坂戸の境の辺に、おいしいコーヒーを飲ませる喫茶店があると聞いていました。辺鄙なところにあるのに千客万来の由。旨いコーヒーと聞けば一度は飲んでみたいと思っていました。
 坂戸の高麗川の川向う、城西大学に行った帰りに「ジュリアン」という看板を見つけました。あっ、ここかな、と思って急ハンドルを切って砂利道の坂を上がると一戸建ての店がありました。洒落た感じを予想していたが、広い駐車場が何となく殺風景。エントランスの楽しみを演出したほうがいい。
 一杯550円、苦味が選べるブレンドは、なるほど美味しかったです。店内は広く、店主も店員もお客に視線を投げかけることなく、心地いい感じです。窓からの眺める店の周囲は、野草やハーブの庭園、木陰から遠くに山並みが見える。持参の朝刊を読むのにいい時間と空間でした。
 城西大学に行ったのは、日本地方自治研究学会(http://wwwsoc.nii.ac.jp/umlgr/)第27回全国大会の中の、「自治カフェ」なる企画に参加するためでした。同大学の伊関友伸先生から川田虎男さんを通して、「日高まちづくりフォーラム」のメンバーにお誘いがありました。大学の先生だけではワークショップをやるのは面白くないから、ということらしい。
 市民参加のワークショップ各グループ共通のテーマは、正確には覚えていないのですが、「地方が疲弊していると言われるが、この疲弊という言葉のイメージを各人が解釈しその解決法を提示する」(うろ覚えです)ということだったと思います。
各グループ6人。私の隣は鶴ヶ島市の協働推進担当の方(女性)と女子栄養大学の先生(女性)。向いは関西大学東洋大学の先生と小鹿野町の町議でした。6人のうち5人は他の班に出張してまた元のグループに戻るという仕組みで進められました。
もとよりこのテーマに結論など出るはずはありませんが、いくつか感じたこと。
・各人の住んでいる地域と環境および生活環境でこの「疲弊」は多様であったことは当然。
小鹿野町議の発言は、現在通常言われている過疎化による「地方の疲弊」で、後の全員は都市部の住人で解釈もいろいろ。
・比較的多かった指摘は「若年層の疲弊」。地方は豊かだ、疲弊などあるのか、という指摘も。
 議論を聞きながらこんな感想を持ちました。
 「疲弊」はグローバル化の影響から地域特定のことまで千差万別。これを中央の言葉と手法で一律で処するのは無理。政治は地域主権といいながら、票ほしさに「疲弊」を全国共通の不満と要求にすり替えてバラマキ。地方議員も基本的にはこれに同じです。
 戦後の一時期、傾斜生産方式というのがありました。石炭、鉄鋼など基礎資材に注力して国力を増加させるというもの。現在は、選択と傾斜施策が必要かもしれない。そのためには我慢と夢が必要だが、それを語れる国のトップがいない。
 地域のことは地域住民で、ということを改めて認識。とはいってもねー、です。地域住民も自分の疲弊で手一杯、団塊の世代もあと僅かで介護か認知症かの心配、今のうちに楽しんおこうという気持ちが強い。
 今度の総務大臣片山善博市氏は「住民自治の充実と拡大」を自分の仕事の大きな目標の一つとしました。大臣でこれを言ったのは初めてです。「地方の疲弊」を語り表現し改革していくには、その環境と制度的後押しが必要です。どんな政策が出てくるかこれからですが、片山氏に拍手です。