里山の景観の中で実りの予感


 日の傾きが早くなってきました。木々の陰影と空の雲の趣に近づく秋の気配を感じます。粒の肥大に伴って、穂が重た気に下を向き始めました。予想以上の出来です。

 女影の田んぼとは土質が全く違うこの田んぼの米の味はどんなものか。サイボクで米を販売している農家の言。「食べてみればわかるよ」。そんなに違うのかなぁ?
 代かきの時に感じました。一本の川で区切られた二つの丘を超えただけで、こんなにも土が違うのかと。女影は粘土質。水に溶けると土の粒子がコロイド状になり、乾燥するとカチカチに固くなる。新しい田の土は、手で握ってみるとザラっと簡単に崩れ、頼りない感じで、乾燥した状態では、畑の土と同じようです。

 水が切れました。一年中流れるとは思ってはいませんでしたが、時期としては少し早い水切れでした。もう少し水が欲しいなぁ、という思いです。近隣の田はみな、こしひかりが多く早い実りで刈り入れ態勢に入っているので、水は厄介者。田を乾燥させて作業をしやすくし、機械の効率を上げるための水を切ったわけです。
 数日前の雨で大分潤いました。これで稲は疲れずに最後の仕上げ態勢に入ってくれるでしょう。
 それにしても、丘の上の森の木々の連なるラインの美しさ。川に沿ったこの平地林の帯は日高独特の景観です。他所から来た人は、この美しさに一様に感嘆します。首都圏50キロ圏に残るのは日高だけでしょう。見沼にも似た景観がありますが、幾筋も帯状に連なるものではなく、まとまりのあるものです。
 もう何度も言っているのですが、埼玉県がお金を注ぎ込んでいる「三富の平地林」のこと。水辺の環境が全くない森は変化に乏しく、日高の里山に較べるべくもない貧相なものです。一度予算を注ぎ込み始めるとなかなか止まらない官の習性に対しては、他の凌駕する事例をぶつければいい。日高市里山は正にそれに値するものです。
 この景観を残す施策が行政に全くないし、それを問題とする姿勢も議会にない。本当に残念なことです。いま策定中の総合計画に、とうとう「里山」という言葉が採用されませんでした。
 総合計画市民会議のメンバーとして、一生懸命強調しましたが、「平地林」という言葉が採用されただけでした。
 日本の、世界の大勢に遅れるこの姿勢は、なぜだろうか。埼玉県は施策としては里山の維持に熱心なのだが、日高市にはそれがさっぱり伝わって来ない。そして総合計画の市民生活の基盤として活かす発想も感じられない。
 市民が一番に感じる暮らしやすさの基準が「みどりの環境」という結果が出ているのだから発想を考えたらいいと思うのです。「巾着田田、日和田山高麗川」の3点セットの考え方からもう脱却すべきです。
 環境省は、里山の環境を生物多様性のモデルとして、名古屋で開かれる「国連地球生き物会議」で提案します。日本各地、世界各地の里山の事例を集め連携し、自然と共生する社会の実現を進めようという計画です。世界の里山への理解のレベルはここまで来ています。