田んぼにカモが来て、コバトは去った

 今年も田んぼにカモがやってきました。この間まで、隣りの田んぼに電池で発声する自動装置が据え付けられていて、一定の間隔で聞いたことのない鳥の声が出ていました。
 カモは植えたばかりの水面に滑空着陸して苗をなぎ倒すので、カモを脅して、寄せ付けない装置です。それが取り外され、安心して水面に降り立ったのだと思います。

 昨日の朝日新聞天声人語」氏は、鳩山氏に人物批評としては非常に厳しい言葉をぶつけています。また元論説主幹の若宮氏は、小沢氏に引退の勧めの文を書いています。
 鳩山氏は、辞任会見をすっぽかしたとしてさらに評価を下げたようです。常識的に考えれば、恒例の会見を行って国民にあいさつをし、最後のけじめをつけて辞めるべき、ということです。あそこまで支持率を落とし、世間からぼろくそに言われれば、もういいや、という気持ちになったのかもしれません。
 そこまで言われたら逆に腹をくくって、自分の不明や反省も含めて言いたいことを言って辞めればよかったのに、と思います。辞めてよかった、とするパーセンテージの小沢氏との約30パーセントの差。これを考えれば、支持率とは別の好感を持たれていた、と言えるのだから。
 理想ばかり言って“お坊ちゃん”で世間知らず、権力闘争に疎く権謀術数にも長けていない。こういう人物に一国のリーダーが務まるはずはない、というのが大方の評価です。しかし、そんなステレオタイプのリーダー像で片付くのだろうか。そもそも、戦争の中で育まれた古今東西のリーダー像に無意識に寄りかかった表現に食傷してしまいます。
わが道を行くリーダーシップを発揮した小泉氏だって、自民党はぶっ壊したけれども、息子を世襲自民党の議員にし、国民の生活に影響する政策の成果をみれば、無残な結果と言わざるをえません。
 8ヵ月の“実績”をみれば、何もないということはない。結果責任という言葉があるが、結果実績もあっていいのではないかと思います。
 アメリカの基地と安全保障の問題をこんなに国民的議論の俎上にあげた首相はかつていただろうか。沖縄の基地移転の問題処理の不手際をあげて、国際的地盤の低下や日米関係の悪化を声高に言い立てるが、沖縄に、日本に、アメリカの基地があることの意味をどれだけの国民が認識していただろうか。結果として、議論を巻き起こしたことは大いなる資産になったといえます。そのことの方が、国際的信用うんぬん……ということより、よほど重要だと思います。
 小沢氏との刺し違えも、流れの変化をつくりました。これだって、日本の政治史上、歴史に残る事件になると思います。あの親指を立てて口元に笑みを浮かべた表情は、恐らくそのことを意味していたに違いない。首相になって以来、一番いい表情でした。
 首相だからといって理想を言ってはならない、ということはありません。理想は言うべきです。リーダーであればなお更のこと、社会の理想を述べることは必用です。一方で理想を語りつつ、一方で現実との架橋を意識しながら議論を巻き起こしつつ、ビジョンを念頭に置いて問題の処理を図っていく。言うは易くの、いつもの口上が出てきてしまいますが、それで最終の決断を下すのがリーダーの役割であると思います。
 菅新首相の理想は「最小不幸社会」。それを実現するのが、経済と福祉の強さ両立の実現です。しかし、このプロセスをめぐっては強烈な対立があります。バックに学者陣がいますが、経済学も所詮は“所与の条件”の科学、クロシロあって当然、どんな議論の果ての決断があるのか、国民はそこに関心があります。鳩山前首相の置きみやげの、沖縄の基地と日本の安全保障の問題も同様。せっかく起こった議論の積み重ねを無駄にせず、基地のない理想と約束事の現実についての国民的議論を継続してほしいものです。
 それにしても、です。宰相たる者はもう少し表情にゆとりが欲しい。言質を取られないようにか、責任の重さに耐えてか、発言の影響力の広がりを懸念してか、とにかく硬さと無表情が過度な感じがします。TPOもありますが、いつもセメントで塗り固めたような、責任感溢れる表情をつくらなくてもいいのではないか。菅首相は早くもそんな表情になってしまいました。