秩父事件

今年の初めに、朝日新聞の地方版に載った記事があります。見出しは「秩父事件に『農民』視点」「運動参加は村の力?」「中畦さんが独自検証、改訂出版」とあります。「秩父事件」という見出しを見ていくつかのことを思い浮かべました。。

井上幸治『秩父事件

 秩父事件とは、明治17年の10月に、秩父地方の農民数千人が税金の減免などを求めて武装蜂起した事件です。背景に、生糸の暴落と軍備増強のための増税に苦しむ農民の生活苦がありました。その数年前から自由党結成の影響による自由民権運動秩父地方にも起こり、困民党という集団が組織されて武装蜂起の中心になりました。
武装反乱は政府軍によって鎮圧され、首謀者や参加者は厳しく処罰されました。以降、明治、大正、昭和を経て、事件のことは地元でも一切語られることなく歴史の闇に葬り去られてきました。一冊の本が出版されるまで。
 新聞記事は、秩父事件の中心地である皆野町下日野沢(当時の下日野沢村)の郷土史を研究する中畦一誠氏が、「独自の視点で秩父事件を検証し」『秩父事件のふるさと やまなみ残照』という本を出版したことを報じたものです。
 記事によると、著者の住む下日野沢村は「秩父自由党の発祥の地とされ、事件は自由民権運動の一形態などさまざまな見方があるが、中畦さんは、事件を村の仲間、農民という視点でとらえている。古い慶弔費の記録を調べ、村の固いきずなの裏側にある横並びの発想や長老支配の厳しさを指摘。事件参加者の多くは自由意志ではなく、村の力で参加させられたとみている」。
 秩父事件と言えば自由民権という言葉で語られるのが普通ですが、個々の農民の意志はどうだったのかという疑問を漠然ともっていたので、これは面白いと、私の関心を引きました。地元の人間ならではの視点で、貴重な業績だと思いました。
郷土史には、地元の空気を読み解き、学者が手薄な面を補強し全体の位置づけに貢献するという側面があります。
 秩父事件に関しては、昭和43年に、中公新書で出版された井上幸治著『秩父事件――自由民権期の農民蜂起』を読んで以来関心を持ってきました。。
当時私は、ヨーロッパ中世史に関心があってこの方面の本をよく読んでいました。井上幸治という人はフランス史を専門とする学者で、『西洋史入門』などの著書を通して名前は知っていました。
 その井上氏が専門として畑違いと思われる秩父事件の本を出版したことに驚き、すぐ購入して読みました。この本は、一地方に起こった事件を、社会・経済史的な観点から広く日本と世界の動きに関連付け、歴史のうねりの中から人間の自由と権利の普遍的なものが育つ過程を明らかにしています。出版当時、アメリカでは公民権運動が、ヨーロッパではフランスを中心に学生運動が盛んでした。こういう世界の趨勢を反映して本書の出版も注目され、現在でも版を重ねる“名著”となりました。
 秩父市の出身で、秩父事件をライフワークとする井上氏のこの本によって、事件は日の目を見ることになりました。これを契機に地元は歴史の汚名という呪縛から解き放たれ、闇に閉じ込められてきた史実が語られ事件の再認識と復権が図られてきました。

『風の乱』日高で上映されず

 近年のその動きの頂点が、平成14年の映画『風の乱』の完成です。この映画は、岐阜の農民一揆である『郡上一揆』を撮影した神山征二郎氏を監督とし、地元のエキストラ数百人が出演したことなどで話題になりました。
 映画は全国で自主上映され、飯能市では2回も上演され成功を収めました。私もその頃、日高市でも上演の可能性はないか、と思っていました。そういう時に、確か「広報ひだか」の案内欄に、「『風の乱』自主上映スタッフ募集」という趣旨の呼びかけが(この通りの文ではありませんが)掲載されたことがありました。
 ようやく同好の志が現れたかと喜び、指定の日に集ったところ、人数は7、8人だったと記憶しています。呼びかけの世話役が3、4人。
 しかし、2回集ったところで、急遽、中止の連絡がきてそれでお終いとなりました。理由ははっきりしなかったように記憶しています。その後、自分で自主上映の胴元に電話をして聞いてみました。
 この辺もうろ覚えなのですが、上映依頼側は、定額30万円近くをフィルム提供会社に支払う必要がある、ということだったと思います。フィルムと映写機と込みであったかどうか? いずれにしても、お客が来ても来なくても支払わなければならない30万円。やはりこれがネックだったと判断しました。
 2000円のチケットとして150人集るかどうか。呼び掛けの人たちは、いざやろうとして確認してみて分かったこの数字を、不可能と判断したに違いありません。日高市で関心があった人は飯能でみてしまったという理由も考えられますが、不可能と判断した根拠は何だろうと今でも時々思います。
 日高市一揆が起こったことがあるのかどうか、以前、図書館にある限りの資料で調べたことがあります。おぼろげな記憶ですが、飯能の南高麗方面で起こった一揆の残党が高麗本郷方面に流れてきた、という一件だけだったと思います。江戸中期以降、埼玉で起こった一揆は50件と言われる中で、日高は“乱”と無縁で穏やかであったようです。

『平成の秩父事件

 この小さな冊子は『平成の秩父事件』というタイトルですが、内容は現代の事件です。小鹿野町の友人からもらいました。発行人は発行人は「三峰駐車場疑惑解明住民の集い」。

「合併した際の混乱に乗じて自らの利益のために村民、市民を欺いた政治家がいるのではないかという疑念」「宗教団体に公費を密かに支出、住民訴訟を起こされている」など、秩父市が不正に公金を支出したとして、市民が裁判を起こした経過を漫画で表現しています。
 事件の経過を漫画で表現し本にして市民に広く知って貰おうとしたのですが、行政訴訟の現実は厳しいものがあります。敗訴を重ね、上告中とのこと。「平成の秩父事件」が示す背景には、明治の秩父事件とは違う意味で社会の大きな壁があるようです。