日高市の環境政策の背景を探る――環境基本条例案の提案を聞いて

環境基本条例ようやく日の目を見ることに

 現在開かれている3月議会に環境基本条例が提案されました。12月に全員協議会に提案され、今議会で議決されると見られています。
 提案された環境基本条例の文案を読むと、必用とされる要件が機能として手続きとして事務的に述べられています。国の環境基本法自治体がとるべき行動が詳しく述べられているので、それを踏襲すると、どこの自治体も内容的には似かよったものになるのは当然です。
 ただ環境基本法には、第7条に、「地方公共団体は、基本理念にのっとり、環境の保全に関し、国の施策に準じた施策及びその他のその地方公共団体の区域の自然的社会的条件に応じた施策を……」と記されています。そこから地域の固有の歴史的遺産や自然、景観、文化などが、環境基本計画の射程に入ってきます。
 そういう地域の財産を次世代に残していくことも環境基本計画の大きな目標となるので、それを表現する文章が冒頭に入る場合があります。それによって市民のアイデンティティを高め、行動計画も実効あるようにしたい、という願望もそこに込められます。今回の文案には、そういうものは含まれていません。

行動への意志が欠けていないか

 環境基本条例が可決された後、環境基本計画の策定に入りますが、その概要も明らかになりました。議会での市長答弁によると、策定期間は1年、アンケート、パブリックコメント、環境審議会の3つの方法で市民の意見を聞き、市民会議は設置されない、とのことです。
 パブリックコメント、環境審議会の二つは、計画の案が完全に固まってから行われるものです。この段階に至っては、計画案は完成版として出来あがっているので、大きな修正は入らない、入れない、という暗黙の前提が行政にあります。
 また、アンケートを委託コンサルタントが統計的に処理して出てきた数値なり意見は、同じテーブルで議論しながら練り上げていくというアクティブな面が欠けています。したがって、この策定の手法では、計画段階から市民の関与を取り入れ、積極的行動へ結び付けようという意志が感じられません。
 環境基本計画は市民、事業者、行政3者の一致した目標と行動への意志が非常に重視されており、そのために、いろいろな仕掛けが組まれています。行政の旗振りではなく、日常生活やボランティア活動で、市民が自分の意志で行動し参画することの重要性――そういうものがなければ環境基本計画をつくる意味がないと言ってよい。
 市民会議を設置しないということは、そのことを理解していないか、分かっていても、別の帳尻合わせをするためと考えられます。“めんどうな”市民会議は置かず、「1年でさっさと作ってしまう」(市長)のは、次年度から実施される総合計画に乗せるための便法かあるいは焦りかもしれません。
 総合計画の年度計画の展開予定は誰もがわかっていること、私でも知っていることです。この市の最上位計画に各分野の基幹計画を搭載することについては、これも常識的なところ。とすれば、本来は、総合計画の改定予定に合わせた形で、環境基本計画の策定にじっくりと取り組めたのではないかと推察できます。
 市長がそういう認識であったのか、なかったのか、私には皆目わかりません。しかし、公的な発言や市長の指揮下にある行政の行動から見ると、どうも、そうではないと思わざるを得ません。

首長の決断と見識

 埼玉県の現在の40市のうち、環境基本計画を未策定なのは日高市加須市吉川市の3市。吉川市平成の大合併で誕生した市なので、従来からの市では2市です。なぜ、これほど遅くなったのかを詮索しても仕方のないことですが、その背景には日高市の市政の特徴が隠されているような気もします。
 政治家としての市長が決断を下せば策定は進んだのではないかと思うのですが、それをしないで“先延ばしてきた”ことは何なのか。
 環境基本条例、環境基本計画は、目標を定めて市民と事業者と行政の3者が協力して進めることが、国の環境基本法で義務付けられています。環境基本計画の実施には対立要素もなく、行政計画として実行がむずかしいという要素はないと思われます。首長の「やる気」さえあれば、社会が協力して立ち向かうべき理念と目標であることを市民は理解したはずです。
 誰も反対する要素はありそうもない、市民生活に最も重要かつ必用な環境基本計画の策定を先延ばししてきたことは、どう考えても、平成6年以来の歴代の市長の政治家としての見識と決断に関わると思わざるを得ません。それ以外に何があるのか。

議会――議論の無風地帯

 議会はどうだったのか。驚いたことに、平成12年以降本会議での質問はたったの2件のみ、平成16年と19年だけです。その2件も突っ込み不足で担当部局の回答は、内容のない全くの空疎な形式的回答です。
 この2件の質問者が議員となる以前は、ネット検索が可能な期間の記録は皆無です。これには本当に驚いた! 全国の自治体で、市民と行政が地域社会のあるべき姿を論じていた時、日高市では話題にもならず、議論の無風状態が続いていたのです。

議会の追及もなく立案もされず

 一方、立案を担当する行政内部はどうだったのか。これについても判断できる情報は何もないので、簡単にはどうこう言えません。しかし、議会の追及もなく、かと言って、作らなくても支障の無い環境基本計画のことなど、立案の俎上に上がらなかったにというのが実情ではないか。一部上場企業の排煙を伴う大工場があることは影響がなかったかどうか。いずれにしても問題意識は封印されたままであったように見えます。
 環境基本計画は、市民と事業者と行政の3者の緻密な協力体制をつくることが不可欠です。そのために、行政が市民と同じテーブルで、多岐にわたるテーマ設定とそれに対応する具体的な行動計画を議論し検討・構築していかなければなりません。行政にとって、これは非常にめんどうくさい、できれば避けたい作業であったことは容易に想像できます。
 15年以上前の国の法律の決定当時は、行政計画をいっしょに市民とつくる協働については理解は一般的にも浅かったと思います。現在はどうか。現在も基本的には変わっていないのではないか。市民との対話を避け、建設的な議論に挑戦する気概はいまだしの感があります。
 結局、こういう背景の元で、先延ばし状態が固まったまま、ころがってきたのではないかと想像します。
 現市長もその固まりをほぐすことなく、時間の帳尻合わせになってしまったようです。アンケートだけで(パブリックコメントも審議会も実態は作ってしまった後の追認)、市民の魂の入らない形だけの冊子を作ることになってしまうのでしょうか。