20年前の砂防堰堤工事

 砂防堰堤工事のことです。バイパスルートの伐採斜面に登った機会に、川筋を歩いてみました。
 堰堤は全部で3基あります。下の写真は最初と2番目の堰堤で、高さが2メートルと1メートルくらいの小規模なもの。


 石をベンチのように配した公園のような場所があります。ここは国道のがけ下20mくらいのところにあり、降りていく道はありません。

 この砂防堰堤工事のことについては、県の河川砂防課に聞いてみました。記録が残っているかどうかが心配でしたが、情報はキチンと整備されているようで、当方の質問については、ほぼ完全な回答で、満足すべきものでした。
 まず工事の区間です。砂防堰堤の工事はすべて地図上に示されているようです。情報の請求に対して即座に「工事位置図」が送られてきました。それが下の地図です。理解のための私の手書きの文字が入っています。

 
 砂防堰堤の工事の時期は、昭和63年から測量に着手、工事は、平成4年から平成8年まで実施。約20年前のことでした。ずいぶん以前のことですが、工事の看板だけはよく覚えています。工事期間が4年。あの程度の工事で4年? 公共工事がだらだらと長く続くのはなぜのか、疑問が湧きます。
 かかった費用は、約1億7000万円です。工事区間360メートルの範囲に、小規模な堰堤3基と護岸工事それに親水公園(誰もいかないと断言していい公園です)。この額が予算として妥当なのかどうか私にはわかりません。
大沢堀川のこの地に砂防堰堤工事を行った理由?
 ――「砂防設備が必要な土地」または「一定の行為を禁止等する土地」として、国土交通大臣から指定されている土地(砂防指定地)――。「土砂の流出による被害を防止するために、護岸工や落差工を実施」したとしています。
 砂防堰堤工事の根拠となる法律?
 ――砂防法の第5条「都道府県知事の責任」。この中で、砂防指定地内の砂防設備の工事を施行する内容が記されている――。
「砂防指定地」であれば、どこでも原則砂防堰堤を築造出来るのか?
 ――「山地等からの生産土砂を貯留・調節するのに、効果的な位置を選定し砂防堰堤を築造している」――。
 砂防指定地を実際に判断して指定する部署はどこか?と言う質問に対しては、
 ――「砂防法において、土地の指定は、国土交通大臣により行われる」「実務的には、県知事が、指定に伴う『土地の状況等の必要な調書』を大臣に提出することで手続きがなされている」――。
 実際の築造地や規模などを判断・決定する部署は、
 ――地域機関(県土整備事務所)において、砂防設備の設計を実施し、関係機関と調整しながら判断・決定をしている――。
 砂防指定地は、台帳が県土整備事務所に保管してあり、閲覧が可能で、大沢堀川については、飯能県土整備事務所の管轄とのこと。
 調べた結果は以上のことで、担当者の対応も迅速でした。改めてこんなことを感じました。
 「砂防」――戦後の一大土木事業は、このささやかな調査からも分かるように、国家、自治体行政挙げての推進が行われていることが分かります。推進根拠と実際の運用も緻密に整備されており、この大沢堀川程度の川も砂防地に指定されているように、全国津々浦々の川が対象になっていると思います。
 大沢堀川の砂防該当性については専門的なことはわかりません。しかし専門性の陰で山間に秘かに設置される砂防堰堤の弊害はすでに定説となっています。専門ではなく、川の由来から判断する常識からすればどうなのか? 20年まえの工事ながら考えさせられます。
 数年前の一件を覚えているでしょうか。日和田山中に3基の堰堤工事が県によって行われようとしたことを。その予算を取ったと、現県議は宣伝に努めましたが、市民の反対で頓挫しました。
 その時の予算はおよそ4000万円(記憶です)。大沢堀川の工事は同じ3基で1億7000万円。当時、政治家と最も関係の深い公共事業として、砂防工事は盛況でした。
 大沢堀川についていえば、西武の車両基地の工事と並行していたのではないかと思います。時の符号はよく確認しないとわかりませんが、掲載した砂防工事の地図を良く見ると、車両基地が造成途中であることが見てとれます。
 もっとよく調べれば当時の状況がわかるかもしれませんが、「ちょっと調査」の限界です。20年まえ、電車の中から眺めて持った疑問の根本的解決とはなりませんが、積年の宿題を果たした思いです。