倉本聡さん、そうだろうか?

 16日の朝日新聞に「富良野塾、来月閉熟 最終講演へ」という記事がありました。脚本家の倉本聡氏が主宰する北海道富良野市にある富良野塾が3月で終わりとなり、最後の講演を行うそうです。
 富良野塾というのは、倉本氏が1984年に開いた演劇の私塾で、若者が昼間は農家で農作業を行い、夜は演劇を学ぶ集団生活を行う場として有名になりました。倉本氏は77年(昭和52年)から富良野に移住して作品を書いていました。
 倉本氏といえば、確か今月か先月の新聞に載っていました。、例の広告欄「朝日求人」の人物紹介「あの人とこんな話」です。気になるタイトルだったので、別にしておいたはず。ありました。2月1日の記事。
 「何が人間にとって当たり前か、山野に入ればおのずと分かる」と意味深なタイトルです。


 この記事に、記者がインタビューをまとめた形ですが、「」付きの発言として、富良野塾閉塾の理由が書いてありました(以下、6行引用。倉本氏の言葉は『』部分)。
 ――「この春、富良野塾は26年の幕を閉じる。その背景に、現代の若者への失望があった。『こちらから話しかけても無反応。何に向かって話しているのか分からなくなる時がある。感受性も劣化した』」(中略)
 「そんな若者たちはこれからどう生きていけばいいのか。『パソコン、携帯電話を捨てて野に出よ。……それらが人間を衰退させている根源かもしれない。五感や感性を目覚めさせるには、それらをいったん捨てた方がいい』(中略)『あるがままの自然に触れてほしい。山野は人間にとって本当に必要なことを教えてくれる』――
 倉本氏のこの言葉はその通りだと思います。パソコン、携帯を捨てろとは言いたくありませんが……。おそらく、その表現は象徴的に使ったのではないかと思います。
 しかし、農作業をやりながら演劇を学ぶことを目的に、雪深い富良野に行く若者がそれほど感性を失っているのだろうか。? 
 次の写真は、以前書いた立教大学での、木村秋則氏の講演会の様子です(http://d.hatena.ne.jp/hideoyok/20100110/p1)。後ろから見た頭髪の具合からしても、おじさんよりも若者が圧倒的に多いことが分かる。実際そうなのです。出席者の半数以上が若者という印象でした。
 漠然とした土や自然への憧れがあるのでしょうが、若者の農業への関心はかつてないほど高いようです。ファッション的要素もあるのでしょうが、思想であろうと何であろうとファッションとトレンドとしての動向に違いはありません。




 富良野塾の目的は、脚本やシナリオそして演技などを学ぶことです。農作業はそのための生活の糧を得るためだという。失礼な言い方ですが、この目的を逆にすればよかった、と思うのです。
 演劇のことは分かりませんが、若者が農業への期待を高めているのは事実です。倉本氏が「若者よ、山野に出でよ」というのであれば、塾の目的を農業に変えることが良かったのではないか。そこから人間が本来持っている身体性が出てくるのではないか。
 「書も、携帯も、パソコンも、そして演劇も捨てて野に出よう」と倉本さんが言えば、ものすごい共感を得られたと思います。閉塾の思いには共感できますが、何か一抹の残念さと不足感が残る富良野塾の終わりでした。