昨年の成果は再現できるか

「年始の話し」の中で、2009年の私の米作りの大豊作は、“自然の結果”であって人為の結果(つまり私の技術)ではない、と書きました。しかし、そう言ってしまうと身も蓋もない、私の創意・工夫の技術の成果も少しはあるのだ、ということを確かめておこうと思います。
 自然農業・自然栽培といっても、放任ということでは全くありません。知らない人は、自然農業と言うと、何もしなくていいやり方だと早合点してしまう人がほとんどです。「自然」ということの意味は、何も施さない“自然”ではありません。自然の意味は、「自然の摂理」を理解し、それを取り入れることです。それは自然をコントロールすることではないのだけれど、自然の法則、原理・原則を活かしながら、折り合いながら、取り入れながら、制御しながら、作物が生育する力を最大限発揮できる環境をつくってやることです。そういう塩梅を会得する道が“観察すること”だと思います。
 昨日の木村秋則氏の講演は、観察して観察し尽くして、自然の摂理の中にあるりんごの生態の解明とりんごの“気持ち”を理解する過程についてでした。りんごが収穫できなくても、我慢してとれない原因を追究して観察を続けました。小さな光明と兆しの中に手ごたえを感じ、自分を信じて観察を続けました。そして、りんごは、自然の摂理の中で樹木本来の生命力を獲得して応えてくれたのです。
木村さんも言っていました。
 「自分はリンゴを生産しているのでない」「リンゴ手伝い業です」と。
 私はとてもそこまでは行きませんが、その過程に完全に共感でき、その観察を喜んで自分に課そうと思っています。木村さんの苦節を思えば、後に続こうという私たちは、その観察の知恵と経験を語る言葉は宝石のような価値を持っています。
 私の、自然農業の先生である趙漢圭(チョウハンギュ)氏も、口癖のように言っていました。「観察せよ、観察がすべてだ」と。そして自然農業の農民たらんとする者は「作物、動物を観察すること以外のことに関心を持つ必要はない」とまで。その言葉の意味を、私は最近、ようやく分かってきました。
 さて最初に触れたように、私の米作りの簡単な総括をしておきます。

まず水について


―水が切れなかった―
 何回も書きましたが、水がないという田んぼはありえません。今までこの基本的条件を満たすことが出来なかったのが、前提としてあります。昨年は、水が全く切れませんでした。これは初めてのことです。
 水が常にあったということは、つまり異常であったということです。その原因は何か。
 木村さんは言っていました。「東北は梅雨が明けずに夏になってしまった」と。それは異常気象の一つの証拠として挙げていたのです。
 昨夜NHK放映の(偶然みましたが多分再放送)小川町の金子さんも、田植え時期に「雨が続きすぎる、日が出ない」と嘆き、いもち病の発生を心配していました。
 このように昨年は全国的に異常気象でした。日高も例外ではありません。曇りや雨の日も多かったのですが、太陽が出ないことによって、地表の水分が蒸発せず、地下に浸み込んだ雨は切れ目なく里山の淵から湧きだしていたのです。夏になって日が照っても枯れることはありませんでした。地下に滞留した水はそれほど多かったのです。そのため、新しく入れ替えたモーターでポンプを回すことは、とうとう1回もありませんでした。
 私の田んぼの基本条件を満たしたのは異常気象でした。これだけは人為の届く範囲ではありません。

雑草のヒエとコナギについて


―水がある中で発生するコナギ。ヒエは水があれば出ない―
 ヒエとコナギ――この相反する特徴がある二つの雑草をいかに防ぐか。田んぼの無農薬栽培はすべてこれにかかっています。以前も書きましたが、日本の有機農家のインターネットでの話題はすべてと言っていいくらい、この雑草の防除についてです。
 その方法を開発した、成功した、ダメだったという延々たる話です。これを偶々成功したではなく、毎年、毎年同じように防除に成功することが、無農薬栽培で経営を成り立たせるための最大の条件なのです。プロの農家といえども、再現性をもって毎年確実に成功することはむずかしいところに無農薬栽培のむずかしさがあります。
 そのための技術は、いろいろあります。田んぼの条件と天候の条件と、いくつものタテ・ヨコの技術を組み合わせて観察による知恵と経験が活かせるか、にかかっています。私もそれら技術に関して、ずっと学びつつ成功した実例を見学して知識を深め、部分的には試行錯誤してきました。
 水があることで、今年は試してみました。使用条件を満たせば効果があるとして定評があった米ぬかを撒く方法です。これが成功したのかどうか。
 ヒエはほとんど出なかった。これは本当に驚くべき事実です。米ぬかを撒いたことが原因なのか、わかりません。最初は自分の技術が成功した、と思っていましたが、師匠の指摘が正しいのではないかと思いました。つまり、異常気象の低温で、ヒエが芽を出すヒマがなかったということ。
 確かにあり得る話です。私の田んぼに水があるからと言っても、ヒエの防除のためには何をするにしても、15センチくらいの深さがなければダメというのは常識です。だから、米ぬかを撒いたとしても、ぬかから出る有機酸がヒエを防いだということは言えそうもありません。
 これは恐ろしい話でもあります。異常気象の低温によって、あれほどの猛威を振るう雑草が出ない。自然の摂理、仕組みが乱されることです。これが大規模になったらどんなことが起こるか分からない、どんなことでも自然を決定的に攪乱することが起こるかもしれない、ということです。このことを敷衍していけば、木村氏が使命感をもって農薬、肥料を使うことに対して警鐘を鳴らすことにつながっていくと思います。
 コナギはがっちり出ました。水があれば湧くように発生する雑草ですからこれは仕方がない。プロの農家も、ヒエよりもむしろコナギに手を焼きます。昨夜のTVでも、小川町の金子さんはコナギを手で取っているシーンがいくつかありました。コナギは稲が先に大きくなってしまえば、発生しても成長せず何とかなりますから、手で取ることをはじめ何らかの対策をとればいい。
 結局、結論はやはり、天候に起因する自然の結果である、と言わざるを得ません。ぬかの散布の効用もあったかもしれませんが、それは未知です。

苗について

 苗半作と言われます。それほど苗をどう作るかによって収穫が影響されます。私が日高で米を作っている人と違う点は苗作りにあります。
 天恵緑汁で自然の精気を吹き込み、無肥料の環境の中で自分で成長していく強い苗を作る。私が最も心がけている点です。最初は極めて貧弱、見てくれの悪い苗であっても、後でグングン伸びます。成長の過程で肥料を人為的にやらずとも、動植物の代謝と循環の中で自然にもたらされる栄養分を、自分で求めて育っていく――これこそが自然の摂理であり、自然全体の合作としての実りだと思います。

―茎が太く育っていく―
 そのような成長は、たった1本の苗であっても茎の増殖は力強く、太く本数も多くなり、結果としてコメの粒も大きくかつ多くなります。手植え部分は、かなり意図的に疎稙にしており、また田植え機を使った部分は、私の操作不得手から植えた密度が非常に粗くなってしまいました。それでも十分な収穫があったことは、田んぼ全体が自然の機能を総体的に発揮できる環境にあった、そういうふうに作ってきた成果であったといえます。
 苗の作り方については、まだ相当詳しい話がありますが、簡単に言えば以上ようなことです。
 稲の病気については、全く私は知りません。ある程度の雑草の中で育つことは、植物のアレロパシーの相互作用によって病気とは無縁です。また肥料を全くやりませんから窒素過多になることはありませんから、典型的ないもち病も発生しません。

再現はあるか

 自然農業・自然栽培の稲が環境変化に強いことは実証されています。私の昨年の成果は、それを物語っています。さて、そこで問題なのは、今年もそれを再現できるかということです。
 これは何とも、現時点では言えません。おそらく気象条件は異なるでしょうから、そこで水という根本的条件が変わります。水の条件が変われば雑草の条件が変わります。そうなれば全体の栽培条件に影響し収穫も左右されるでしょう。
 それはそれで、観察の経験が豊富になることですが、水が常時あることだけは願うばかりです。

―窒素をやらなくても実る自然の姿―