イノシシに成す術もなし

 イノシシは相変わらず夜毎“出勤”してきて私の畑を蹂躙しています。我が物顔で傍若無人で、とは人間の振る舞いを表す言葉、そんな生やさしいものではありません。畑は縦横無尽に動き回るサッカーグラウンドと化しています。
 よほど、私の畑のみみずがうまいらしい。みみずを探してすっかり有機物のマルチをはぎ取り、ピーマン、ネギは根本を掘り返され全滅。レタス、ミズナなどの姿・形が肝心な葉物は、踏みつぶされて自分で食うならともかく商品にはならない。
 新しい畑の大豆は、根本をすっかり掘り返され、浮き上がってしまいました。豆が肥大しこれから最後の太りこみに入る、というのに、あれではモノになりません。

隣りの畑。いつもきれいにしています。

 それにしても、私の畑だけにどうしてくるのか。隣りの畑は、3メートル先の変事がウソのように、きれいな表面に整然と作物が成長しています(上写真)。因みに、隣の畑は「化成派」。
 新しい畑の隣りで家庭菜園をやっている奥さん。「横山さんはどうしてあんなに不規則な大根の間引きをするんですか」と聞いてきました。
 「あれは間引きではありません。イノシシが鼻ずらでかき回した後なんです」
 「ええっ、イノシシが出るんですか」と、こういうご存じない状況です。
 小動物と共生している作物の根圏がいかに栄養豊富で豊穣であるか、私の目指してきた栽培法が、イノシシのお好みになることは必定のことです。根圏に生息する微生物、小動物による分泌物と、光合成による作物の根からの分泌物が相互生息を可能とする豊かな自然の小宇宙を作り、人間による自然への干渉である肥料投下という行為を行わなくても作物は育つ――これが無農薬自然農業の目指す栽培イメージです。
 その小宇宙の住人の一つであるみみずが、よく太り栄養豊かでよほど旨いだろうことは想像に難くない。それにみみずは結構匂うのです。連中はあの強靭な鼻を土の中に突っ込んで、無軌道運転のブルトーザーの如く動く回っているのだろう。
 少し先のフレンド幼稚園のさつもいも畑にも出没したのですが、不思議なことにイモはほとんど食われていません。所々かじっていますが、食い荒らす程ではないのです。フレンドのイモは植えるのが遅かったからイモができていないのかと思ったのですが、どうして、どうして立派なイモができています。
 ミミズの口直しにさつまいもを食っていいはずだが、ミミズで満腹? そんなことはないとおもうのですが。いずれにしても、さつまいもはメチャクチャに食い荒らされると聞いていたので、どういうことかと思いました。
 いく日か足跡を観察していたら、どうやら通り道が定まってきたようです。そこで、暖めてきた“落とし穴”作戦の実行です。足跡がはっきりしている通り道の一つに落とし穴を作りました。
 直径80センチくらい、深さ1メートル。イノシシが頭から落ちて、体全体がすっぽり穴にはまりこんで身動きできない状況をイメージして掘りました。

 穴を枝枯れ草で覆い、その上に小麦を置いておきました。イノシシはどのくらい賢いのだろうか。異常を察して通らないかもしれません。

 イノシシはこの山の下の沢から登ってきます。

夜11時半過ぎ、パソコンに向かっていたのですが、後ろのテレビの方が何となく面白そうになってきました。そこでテレビに暫し頭を向けて見ていましたら、これが素晴らしい内容のドキュメンタリーでした。頭だけでなく体も向けて見て30分。
 ある地域で300年続く獅子舞の曲を音楽大学の学生たちが音符に復元した話です。伝承による記憶だけが頼りの笛の曲。吹き手の87歳のおじいさんを励ましながら、何度も何度も吹いてもらってオタマジャクシに変える根気の入る作業です。
 音大生は女性を含む5人、復元する曲をその場で自分の専門とする楽器で演奏します。そして思い出せなかった最後の一小節が記憶に戻り、完全音符化に成功しました。長い期間にわたった作業をねぎらい、完成を祝って、笛太鼓と現代楽器の合奏による獅子舞が行われました。
 どこの街のことかわからなかったのですが、いい放送でした。新聞で確かめたら6チャンネルの「ワンステップ」という番組でした。
 そして次回予告。あるまちで起こっている「イノシシ騒動」ですと。イノシシ被害に我慢できなくなった住民の闘い! これは見逃せないです。