縄文人の耳飾り――台の縄文遺跡(2)

 国道299の武蔵台入口付近で発掘された石器時代住居はどんなものだったのだろうか。
 今回の発掘を行ったのは、埼玉県の文化財の発掘や調査を行う県の外郭団体である「財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団」という組織です。昭和55年に設立され、熊谷市に本部があります。所員47人。
 発掘が行われる仕組みがどうなっているのか、少し調べてみました。埋蔵文化財や発掘に関することは、すべて「文化財保護法」に定められています。
 「第4章 埋蔵文化財
(調査のための発掘に関する届出、指示及び命令)
(土木工事等のための発掘に関する届出及び指示)」
 文化財を扱う組織は都道府県と市町村に分かれており、都道府県が行う業務は公共事業に関係するものが中心であるのに対し、市町村が行う業務は民間事業に関係するものが多い、という違いがあります。高麗の発掘は、国道関連だから県の担当事業になります。日高市は、教育委員会生涯学習生涯学習課の文化財担当が担当となっています。
 埋蔵文化財の発掘はどれくらいあるのか――古いデータですが平成6年度についてみると、工事等に伴う届出等が約24,500件、発掘調査の届出等が約9.500件ありました(文化庁報告書)。道路建設、住宅建設など開発事業の増加で増え続けているそうです。
 さて高麗の発掘事業の実際。私が発掘を見たのは昨年の10月10日です。信号待ちをしていてすぐ気付き、車を止めカメラを手に現場に行きました。担当者に撮影の許可を貰い、現状で分かる簡単な説明を受けました。
 そして詳しい報告書が出るとのことで、その後2回財団に問い合わせ、最近その報告書を入手しました(『さいたま埋文リポート2009』)。それを元に、発掘の成果を書きます。次の写真2枚が当日撮った写真です。


 ここで前の記事に乗せたグーグル地図をもう一度再録しておきます。まずこの地図上の地点を追ってみてください。

より大きな地図で 高麗駅入り口に新しい縄文遺跡 を表示
 台形の底辺がない形の青い線が記入してあります。これはカーブした線にしたかったのですが私の技術では出来ませんでした。
 高麗駅の北からこのブルーの線は始まり、青い目玉の上を通って森に沿って伸び、巾着田に近い円福寺まで伸びています。この青い線は、時代は正確に特定できませんが、中近世に築かれた土塁が伸びているところです。国道299は、この土塁を横切る切り通しになっています。幅8メートル高さ2メートルの土塁(土を盛った土手)がなぜここにあるのか。
 「この土塁によって囲まれた範囲を、岡城あるいは台城と呼び、岡上隼人正秀信が居城した秀殿屋敷との伝承が残されている」(「埋文リポート」より)。中近世に関する出土品として、中国の宋から渡来した古銭(1008年に初めて作られたもの)があります。
 縄文時代の遺跡は、竪穴式住居が2軒、重なる形で発掘されました。発掘の写真1枚目です。一軒は直径約4.5メートル、深鉢土器を埋めた炉がありました。2軒目は直径5メートルの円形住居、炉は石で囲った楕円形です。この住居跡からは、各種の石器・土器をはじめ糸巻きの形をした耳飾りなどが出土しました。
 国指定の遺跡が関係していることから、さらに詳しい発掘調査を行うための評価や調整を文化庁、埼玉県、日高市で行っているとのこと。耳飾りをした縄文人が、武蔵台から巾着田あたりでどんな生活をしていたのか、想像してみるのは楽しいことです。