至福の映像

 浅野氏の講演の中間で、天覧山多峯主山の自然を写した映像が紹介されました。撮影者は市川和男氏。市川氏を紹介する浅野氏の言葉に、「その映像は、自然の中に入ったような感じになる」とありました。
 市川氏は、当方で用意したプロジェクターを使わず専用のものを持ち込んでの放映です。音楽も流れます。一帯に棲む動物、昆虫や植物を写した最初の何枚かが映されると、浅野氏の言葉の意味が分かりました。
 美しい、とにかく美しい。画像の補正がしてあるかどうか知りませんが、そんなことはどうでもいいでしょう。見る者を引きこみ、自然の美しさ、素晴らしさを賛美する言葉が思わず出てきてしまう――そういう印象です。植物の美しさ(単なる美しさではなく、色、形、造形の妙など諸々)、面白さ、小さな生き物たちの愛らしさ。見ていくうちに時を忘れました。
 映された写真の中で私を喜ばした何枚かがありました。それは、カヤネズミです。カヤネズミの実物、動く姿に初めてお目にかかれたのです。
 私がやっている田んぼでは、毎年稲刈りの時に、イネ科系の草の葉でクルクルと編んだ動物の巣が見つかります。もう何年も前からこれを見つけると、何だろう、後で調べようと思って切り取り、ポケットにねじこんできました。実際はその後の忙しさでポケットの中でペシャンコになってしまいます。ある自然観察会のガイド氏の講演の際尋ねたら、カヤネズミではないかと示唆しました。
 姿は見えないカヤネズミに思いは膨らむばかりでしたが、今回、初見参。期待通りのかわいらしさでした。500円玉くらいの大きさ、重さとのこと。こんな可愛い動物がわが田んぼにいるとはとても嬉しいことです。
 忘我、至福の感覚、とでもいうのでしょうか。見ていくうちに会場から小さな歓声もあがりました。自然観察画像はテレビや写真愛好者の作品でもよく見ますが、市川氏の写真からは、今まで感じたことのない何か、がありました。
 市川氏の特殊性、市川氏しか持ち合わせていない何か、なのかもしれません。氏は放映が終わってからのあいさつで、仲間から言われている言葉を言っていました。
 あだ名表現はよく聞き取れなかったのですが、自分自身を殺して野の一草一木的な存在になれる、何かそういうことだったと思います。まさに技術を超える固有の本生の発揮ではないかと思います。だから臆病なカヤネズミと対面した写真を撮れるのでしょう。
 市川氏は、生態系協会の職員として活躍されているとのこと。ふさわしい仕事をされているな、と思いました。

以上、写真は大阪市立自然史博物館「カヤネズミをさがそう」より