魚道確保のため堰板をはずしに行きました

荒川流域ネットワークというNPO法人に参加しているので、時々、現地活動に行きます。このNPO荒川水系環境保全を目的に95年に結成され、私も当初はよく参加しました。現在は、自分の動きで忙しくとても日高の外の活動には十分に参加できないのですが、役員会への出席や時々のイベントには参加しています。
 旧聞になりますが、5月1日は、入間川下流川越市寺山の寺山堰にいってきました。NPO法人荒川流域ネットワークの荒川流域再生プロジェクトによるアユ遡上事業に参加するためです。
 4月26日に「アユが天然遡上できる荒川水系を取り戻そう」というスローガンのもと、川越市の菅間堰近くで9000尾の標識アユを放流しました。これは、荒川流域ネットワークが漁協や各地域の環境団体と協力して、荒川にアユが遡上できる環境を作ろうという事業のスタートイベントでした。
 荒川のアユと言うと秋ヶ瀬取水堰が有名ですが、ここを通過したアユが支流を上るのかどうか不明でした。放流アユの脂ビレをカットし、そのアユがどの川を何匹遡上したかを観察して、荒川流域各河川の遡上の環境や条件をチェックしようというのが目的です。

 地図の真ん中辺の菅間堰で放流したのですが、入間側に入ってすぐの寺山堰には魚道がなく遡上できません。そのため、農業用水の取水堰の止め板をはずして流れを作り、魚道に似た環境をつくる――これが寺山堰に行った目的です。

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 荒川の主要支流越辺川と入間側の集まる地帯で、堤防は高く家の屋根が眼下に見えます。寺山堰は完全に上下を分断していて、これでは魚の移動は無理です。
 水利と田の基盤整備と農薬及び機械化――これが戦後の米作りのキーワードです。この堰は40年代の古いもので、当時はこれらの手段による米の増産が大目標で、取水堰を作る時には魚のことなど眼中に無かったのでしょう。いま埼玉県は「川の再生」を主要な事業の一つとして盛んにPRしており、ボランティア団体のこのような活動も理解されるようになってきました。
 
 水を止めている板をはずして流量を増やして遡上できる環境を作りました。

 外した板が9枚、これが重いこと! 水利組合の責任者の農家まで運びました。この運搬にトラックが必要だったのです。私の軽トラがお役にたちました。
 板を運んだ先の農家。新築の立派なお宅の庭先にモミを播いた苗床がありました。大変な量です。お茶をいただいた時伺うと、4町5反ですと。さらに減反も1町以上。それも74歳の当主がほぼ一人でやっているとのこと。
 それは機械化の成果、すべて行程は最新の機械を駆使。その性能をおだやかな表情で話すところに、日本の米作りのプロの気概が感じられました。これで美味い米を作っているなら、自由化も怖くない?
 美味いコメ、減反、自由化……こんな話も聞きたかった。

 アユの遡上調査は、6月に各ポイントで行われましたが、遡上の成果はそれほいいものではなかったようです。高麗川巾着田まで上ってくることを、私は夢見ているのですが。