宮沢湖東部の田園地帯

 宮沢湖東部の田園地帯を歩きました。巾着田方面から宮沢湖へはよく歩いたことがあるのですが、この辺を歩くのは初めてです。並行して走る県道はよく走っており、山林の向こうに見えるところはどんななのだろうと何気なく見ていました。
 荒川清流ネットワークとソクラテスの会食彩の会との合同の野草探索歩きに参加しました。清流ネットで依頼した野草の専門家が、道すがら採取と解説を行いながらの散策です。また、この様子をDVDに記録するための専門の取材班も撮影機材を携えて同行しました。
 大体のコースを地図に示すとこのようになります。赤い直線で示してありますが、実際は山際の道を歩いていきました。
 
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 県道から入ってなかなかいい景色であることにすぐ気付きました。小畔川と山に挟まれた細長い田んぼ地帯で、丘と川の入り組む日高の典型的景観です。しかしご多分にもれず、ほとんどが耕作されていません。
 山から湧きだす細流が何本かありましたが、この乾燥続きなのに水が流れています。しっかり作られた入水用の水路が完備しており、すぐ傍を流れる小畔川から水を取り入れられるはずです。ちょっと見で条件のいい田んぼです。にもかかわらず未耕作。もったいないなぁ、と感じてしまいます。
 いるかもしれない、と期待を込めて歩いていました。野草の楽しさもさることながら、歩くと関心は田んぼの方にいってしまいます。
 いました。いました。タヌキやキツネではありません。道から外れた農道に、農家の方が3人シャベルをもって立ち話をしていました。早速、その場に入り込んで田んぼ談義です。
 こういう時の最初の出だしの話しかけは、「何の作業をやってるんですか」です。聞けば、代かきを始めるので入水用の水路の清掃とのこと。
 「こんないい条件の田んぼがほとんど作ってないなんてもったいないですねぇ」
 「しょうがないよ、後継者いないんだから。それに農家じゃ食っていけないよ。俺たちは機械があるからやっているようなもんだ」
 「息子たちはやらないんですか。やりたい人がいたら貸せばいいと思うんだけど?」
 「やらねぇ、やらねぇ。やりたきゃ出来るというもんでもないよ。機械なきゃできない。揃えればウン百万だ」 
 「…………」。生意気だと思われるから、自分も田んぼをやっていることは話しませんでした。全国どこでも中山間地の稲作は同じ言葉が出てくるのでしょう。こういう農地を大規模農家に集約なんて言っても、日高のような所で、そのような国の言うことをやろうとしても全く現実を見ていないことは明らか。この細長い田んぼ地帯は農業振興地域に定められています。このまま塩漬け? それとも、放っておいてもどうしようもないから、ということで転用へ?



 宮沢湖の大堰堤直下の水路。地図の青い目玉印の所です。ここの水門から放たれた水がこの水路に入り、入間第二用水となって日高を通って入間、狭山、川越方面の田を潤すわけです。宮沢湖のこの堰堤の反対側からも大谷沢方面に用水があります。
 この用水事業は昭和の初めの一大事業であったようです。入間第二用水は、今やその一部しか機能が使われていないのですが、これは地域の偉大な文化遺産でもあります。私はこの用水に興味があって少しずつ調べていますが、調査の構想は立ててあるのですがなかなか進みません。