自然農業の創始者趙漢圭氏の話を高麗で聞きたい

 私が実践している自然農業は韓国の趙漢圭(チョウハンギュ)氏が考案・創始した方法です。昭和40年に日本に来て全国を農業研修しながら研究し、日本の農業実践家3人の方法を学んで新しい方法を考案しました。
 趙漢圭先生は、自分のことを紹介する時に必ずこの3人の人物(養鶏の山岸巳代蔵、酵素の柴田欣志、ブドウ巨峰の開発者大井上康)との関わりを話し、いかにこの3人に学んだかを強調します。そして日本にはこんな偉大な農業者が存在したのに、日本の農業は、3人の先駆者に宿る自然の観察と自然の摂理への理解の精神を忘れていることに特に触れます。
 12年前に東京大手町の農協ビルでの講演を聞いて感動し、地下の農業書売り場で著書を3冊2セット合計6冊を購入し、自宅と事務所に置いて勉強を始めたのがきっかけです。そして2001年に兵庫県加古川市で開催された1週間の基本講習で趙漢圭先生から直接教えを受けました。
 毎日、朝8時から夜11時までの熱のこもった講義は、全国から集まった専業農家の先入観、農薬と化学肥料による農業の先入観をを溶かしていく過程でした。いかに先入観を排した自然の見方を身につけ、自分自身で自然というキャンバスに作物栽培という絵を描いていくか。
 受講生は1週間後には、自然に対する曇りなき眼を養い、自主独立の精神を身につけ、新たな出発の糸口を手にするのです。そしてその精神が、自分の田や畑に定着するかどうかは教えに頼るのではなく自分の努力であることを先生は強調しました。
 加古川市の農協組合長の広大な自宅とその近くの公民館で行われたこの講習会は、また自然農業の食との出会いでした。。全国の自然農業農家から送られてきた材料で作られた食事の素晴らしさです。形容し難い生命力溢れるおいしい食事は、私の脳と身体に確実に刷り込まれ、食と健康の原体験となりました。
 そしてこの基本講習会に先立つ2000年10月の、趙漢圭先生といっしょに回った韓国の自然農業研修旅行。直に聞く先生の観察と批評は自然への目を開かせ、自らやってみようという意欲をかきたてました。
 私は、自分の性格について一つの権威・権力・威光に従うことを潔しとしない傾向がある、と思っています。そういう人間がなぜ自然農業に傾倒したか、です。
 まず第一に、自然農業が「自然農法」という言葉を使わないことです。「農法」というと、法は掟となって強制を伴うことで、人間を疎外することである。自然の摂理への理解を深めながら自らの頭で考え創意・工夫し自分自身の方法を確立する。人間の自由と独立を前提とするこの考え方は、私の性癖にぴったりでした。
 そして第二に、自然の観察を最重要のこととし、自然の摂理への理解なくして農業は成り立たないという考えです。ここから天然素材で農業資材を作る知恵が生まれ、自然の法則に従った植物と動物への愛情と倫理が生まれます。これも私の生来の性格・性癖・志向にぴったりしました。
 さらに趙漢圭先生は先に書いたように、日本の農業への深い理解を示し日本との交流を重視しています。私の住んでいる日高という地が朝鮮との関わりが深い歴史的土地であり、私はその歴史に尊敬と誇りを持っています。高麗という土地に住むこの気持と自然農業が韓国で生まれたことの符号というか共通性は、私を動かす原動力になっているのです。
 いつかは趙漢圭先生の話を高麗で聞きたい、という気持ちを持ち続けてきました。近い将来の実現を夢に見ながら、今年はその実現に向けての第一歩にしたいと考えています。