巾着田の魅力

 巾着田について「春の巾着田はずっとそこにいたいと思わせます」というコメントをいただきました。私も全く同感、特に冬から春先の巾着田にそれを感じますし、また初夏の緑陰も好きです。木立の向こうの日和田の上に流れる白い夏雲を眺めていると、何を考えるでもない立ち去りがたい気分になります。
 こういう気持ちを感じさせる所が巾着田の本当の魅力ではないかと思います。巾着田だけの特徴だ、と言ったら贔屓の引き倒しになるでしょうか。こういう魅力は観光の客寄せの仕掛けには使いにくいのは事実ですが、巾着田の価値を底支えするものとして磨いていきたいものです。逆に言うと、それを損なうような改悪はしてほしくないということです。

花はもちろん美しいけれど、冬のマンジュシャゲの葉の緑の美しさは格別。

あいあい橋のたもとから。冬枯れた景色の中の黒い木立の連なりもいいです。ニセアカシアという高木ならではの景観。
 荒れていた頃は、あんなろくでもない木が茂ってと思っていました。ところが、こんなふうに手入れされると、ニセアカシアの特徴とマンジュシャゲの特徴が相補いながら独特の景観を作り出しています。また植物生態から言っても、マンジュシャゲによい環境になっているのでは? 専門的なことはわかりません。ただの思い付きですが。
 マンジュシャゲの花と葉の関係はよく知られています。花が終えた以降に葉が出てきて、秋から春にかけて光合成を行い、秋の開花に向けて栄養分を貯めるということです。開花の時、花以外のものは一切出さず、すべて花のために貯め込んだ貯金を使い果たす。それだからこそ、あの華やかな美しさが現われる。
 冬のマンジュシャゲの葉が光沢を帯びた艶やかな緑色をしているのは、花のための栄養をせっせと蓄積してのです。他の草が枯れている間に、他の何物にも邪魔をされない状態で光を思う存分受けて光合成を行えるわけです。
 他の草と同じ自然のサイクルであれば、押し合い圧し合いの生存競争の中で陰になり押しつぶされて、また生い茂る樹木にさえぎられて花のための光合成の営みは不可能になります。そういう因果を知ると、自然の摂理の不思議さを感じます。 また、ニセアカシアという落葉高木樹林で発揮されるのではないでしょうか。これも素人推理ですが。
 理屈はともかく、いまマンジュシャゲ樹林地はみどりが美しい。
 他にどんな知られざる魅力、美しさがあるでしょうか。あれば教えていただきたいものです。