ブログに思うことと1月の畑

気軽に書くことと事実性

 5日お休みしての記事です。ブログは毎日書くとなると大変です。経験者は、気楽にやることだよ、最初から頑張らない方がいいよ、と言っていました。そのとおりですね。毎日長い記事を書いても続きません。それに、農作業を1日やって、夕食時一杯やってしまうとダメです。パソコンを前にして船を漕いでしまうことになります。一杯か、ブログか――前者がいいのですが、ブログの調子が出るまでは控えようと思っています。
 また、あるテーマについて書き出しても、事実やデータに不安があったり重要なことで確認したいことがあったりすると、先に進めなくなります。事実の確認が無かったら、肝心なことを飛ばすことになる、不正確になる、面白くなくなる、と思うからです。しかし、後で書き足せばいいや、くらいの“気楽な気持ち”でいないと続かなくなることも確かです。
 いろいろな匿名ブログ(大半がそうですが)を読んでいると、文章の調子も言葉の使い方も軽快で、なめらかで、軽妙洒脱で、勝手で、傍若無人で、斜に構えて、と書く人の人柄もあるんでしょうが、いずれにしても自由闊達な雰囲気です。ブログの良さはもしかして、匿名性にあるのかもしれないと思ったりします。仮面を被ってあるいは記号性の中で書くことによって本音と真実が顕わになり、隠れていた見方・才能が現れるのです。
 実名を冠したブログタイトルで書く私の心掛けは、思ったこと、感じたことを率直に表現する、これが基本です。観察や体験が個人的なことであれば、その表現が読む人に共感を呼び、思考し行動する場を共有できるようになればいいと思います。
 しかし、対象が社会的、制度的なテーマになってくると、そう簡単に率直、気軽に書くというわけにはいかなくなります。責任も発生してきます。先ほど触れたように、やはり事実やデータの実証、観察や見方の裏付けというものも必要になってきます。もとより私はジャーナリストではありませんが、一市民として可能な努力と範囲の中でそれを求めながら書くという姿勢を持っていきたい。その過程において見えてくるもの、経験することが大事だと考えています。
 確かめる過程で人に話を聞いたり、教えて貰ったりすることが当然出てきます。そういう場合に、プライバシーやニュースソースの秘匿が問題になります。これに関しては、ジャーナリストでなくても、その精神は最大限発揮していかなければなりません。状況によってテーマによって個々の判断になります。

個人で知ることは高が知れているが

 ここ1、2年、まちづくりやボランティアでの公式の会議や議論に進んで参加してきました。行政の仕組み・制度に直接向き合い、渦中に入ることで認識を深めたいと思ったことや、未知の大勢の人間で話すことがどういうことか、などが参加の理由でした。各々のテーマに関心があったことはもちろんです。
 市民と行政があるいは参加各人が、異なる知識・経験の中で一つの結論や解決を見出すことのむずかしさを痛感しました。意図的か否かを問わず情報開示の不足であったり、各個人が自分の認識の枠や殻を重く背負っていたり、いろいろな要素が錯綜してあります。事実に基づく共通の話し合いの基盤ができるのにあまりに時間がかかり過ぎるケースがほとんどでした。時には、そのプロセスに大半の時間がとられ、肝心の課題に行きつかず、結論に至らなかったり形式的になったりというケースもあります。
 よいアイディアも大胆な発想も問題解決も、いま現在の状況がどうなっているかを正確に知り、議論することで光るものになり、納得のものになると思います。個人の範囲で知ることなど高が知れていますが、最低限の知識でも正確な事実なら力となることを頭に置きながら書いてみようと考えています。
ブログを書くことで自分の無知をさらすことになる、この恐怖が気持としては大きい。こちらは“気軽に”考えるしかありません。底の浅さを自覚しながら。
 記事を何本か書いて、こんなことを思いました。昼間農作業をやりながらぼーっと考えたことや、ふっと思いついたことを、夜コンピューターの中に固定することは結構な労力です。この身体と頭の体操に使うエネルギーは野良の風に吹かれているからこそ。こちらが先です。

寒気の中、雑草に抱かれて――1月の畑

 温暖化などと言っても寒さは結構厳しく感じます。とは言っても昔、子供のころの感触を知っている大霜柱はあまり見ません。そんなですから麦も踏みません。ホウレンソウ以外の葉ものにとっては、いくら寒さに強いといっても、寒さは大敵。ミズナに寒冷紗です。 


 草ボーボーだった畑を1回耕運機をかけて畝をつくり、ミズナを播きました。雑草に埋もれていますが、取ってみると立派なミズナがぎっしりと出来ています。間引きをしないから正に“ぎっしり”です。正直言って「うまいです」。肥料はまったくやっていません。天恵緑汁など自然農業の手当ても一切やっていない、名前の如く自然農業の成果です。