ブログ開設しました

年賀とお知らせのために元旦に作成

 あけましておめでとうございます。
 私にとって懸案のブログを始めました。“懸案”というのは、表現・伝達手段としての重要性は以前から理解していたし、早く始めたいと思っていたからです。更新の自信がなく、書くこと自体が自己目的化してしまって、却って忙しい結果に自分を追い込むことになるのではないかという懸念もありました。
 しかし、それではいつまで経ってもらちがあかない。年賀状を出す機会がお知らせするのにもいい機会だと思い、思い切って急いでつくりました。
 それともう一つ、最近の出来事も急遽の開設の理由となりました。昨年12月21日に、ソクラテスの会の会員研修会で、2時間の時間をいただいて「自然農業から見る食と農」というタイトルでお話しをする機会がありました。
 自然農業、自然農業と吹聴している割には、皆さんにキチンとしたことを説明していないので、せっかくの機会だからそれなりのお話しをしようと意気込んで準備を始めました。しかし、秋から頭を突っ込んだ別の地域テーマ(今後詳しく説明していきます)のイベントが同日午前にあり、その準備にも時間をとられてしまいました。
 そこで、「自然農業から見る食と農」では、裏付けと論証をもって話そうと考えていた、いろいろなテーマを羅列し、それを串刺しにする統一イメージを頭に描きながら話しました。ところが話すべき項目は多く、個々の項目の内容が薄くなってしまって、自分としては不完全燃焼という気持ちでした。個々のテーマを詳しく説明したかったという思いが募り、そこでブログを利用しない手はないと考えました。
 これからこのブログで、食や農に関するいろいろなテーマとその先に広がる課題を、地域から発想する形で書いていこうと思います。
 このようなわけで、平成21年元旦のブログ開設となりました。

タイトルについて

 タイトルは
『野良のかぜ、街のかぜ』
 畑や田んぼに出て野のかぜに吹かれながら作業をしている時が、一番幸せです。そのかぜは、街から吹いてくる風もあるし、山から吹いてくるかぜもあります。野良にいる時は農作業に集中し、作物の生育や自然の観察に気持ちが注がれています。そういう時に感じる自然の風は心地良いものですが、吹いてくるかぜに、街や里に起こる様々な事が感じられることがあります。
 いろいろな風に吹かれながら考えていると、ある風にふと興味を持ったり、あるいは時には強い関心を抱くことがあります。その風はなんだろうと、吹いてくる元は何だろうと。そこから私の探究が始まります。このブログは、食や農はもちろんのこと、そういう私の諸々の関心を込めたものにしていきたいと思います。
 サブタイトルは 
 『――横山秀男「日高のかぜ」通信』
 サブタイトルながら私自身の名前を冠することは、書くことに責任をもっていきたいからです。日高という特定の地域で発生する事象がどんな背景を持っているのか、また日高から物事を広く眺めるとどんな意味をもっているのか、一筋縄でいかない複雑なことも数多くあります。私なりの見方・考え方を提示しながら、多くの方と意見交換できたら、と考えています。
 ブログの面白さは、自身を明らかにしての発言が、読む者との交流によって理解が深まるという双方向性にあると思います。どれだけ読むに値する文章が書けるかどうか、自信が無いのですが、心をこめて書いていきます。
 知識は力なり、ですが、もとより万般に通じているわけでなく、乏しい知識と狭い経験をつうじての表現、見当違いもあるかもしれません。日高の市民と言っても三十数年住んだだけのことで、地域のことは何も分かっていないに等しい。
 しかし沈黙していては、何も分からないままで過ぎてしまいます。分からないことについては疑問を発しよう、そして教えていただこう、意見を言うべき時にははっきり言おう、そうすることによって理解が深まると確信します。。そしてその理解を多くの人と共有することで、日日の生活の楽しみと人と交わることの喜び、すなわち地域で生きていくことの意義が見出せるのではないでしょうか。
 「日高のかぜ」は「世界のかぜ」に通じていることを念頭に、狭いからにとじこもらず地域から発言していきたいと思っています。

グーグルの地図とトップページの写真

  「世界に通じている」と言えば、グーグルの地図を見たり使ったりする時、それを非常に強く感じます。私は、グーグルのサービスを多く利用していたり使いこなしているどころではなく、ほんの少しをかじったにすぎません。それでも、グーグル地図の偉大さには驚愕すると同時に感動すら覚えます。グーグルの偉業については多くの人が論じています。私のような初心者でも、その一端は感覚的にですが分かります。
 小学生の頃から地図を眺めたり書いたりすることはは大好きでした。今はどうか知りませんが、私が中学生の時、社会の授業に「白地図」がありました。何も描かれていない線だけの白い地図を、教科書の地図を見ながら色鉛筆で色を塗りながら地形図を完成させ、さらに、その上に歴史上の遺産や人々の生活や産業活動及び鉄道網を記号や文字で書き込んでいくのです。
 これが、どんなに楽しかったことか。他のどの授業よりも、です。そして最後の仕上げが、火山を示す赤い三角を書き入れることです。これを書き入れる瞬間のことを、約50年弱前のことながらよく覚えています。
 人間の生活にとって非日常性の最たるものが、地球が生きていることの証としての地震と火山の活動です。私は、理由はよく分からないながらも、自然現象への畏敬と怖れと興味のないまぜになった高揚した境地で火山の赤い▲印を書き入れたのではないかと想像します。
 現在でも、地図を眺めながら地形や風景や人々の生活・歴史を想像することが習い性になっていることは、この白地図を書くことが好きだったことに遡ります。いま私の家の中には、何種類かの日高市の10,000分の1の地図が貼ってあります。それを見ながらあれこれ想像をめぐらし、時には確認・検証することは、私にとっては欠かせない関心の対象です。
 上から見る、見渡すことの面白さや効用・利点の理解は、地図を眺めることから養われると思います。「鳥瞰的」「鳥の目虫の目」などと表されるように、はるか上空から眺めることは、広い視野と大局を得るための意味の言葉として使われます。
 話は逸れましたが、グーグル地図を使っていると、その「鳥瞰」と「鳥の目」を自在に操れ、思考の閉鎖性を打ち破ることに大いに力があると考えられます。そして一つの地域が日本に、世界につながっており、さらに地球という丸い球体の一部であることの認識、グーグル地図はそういう普遍的思考を促す道具になると思います。
 私のブログでは、このグーグル地図の思考道具としての利点を積極的に使っていきたいと思います。自分自身の縮み指向を打破するためにも、地域の利権や狭い公共からより広範・普遍的公共を考えるために、グーグル地図の面白さを利用したい。
 そんなに直線的に結びつけなくても、風景や地形写真と併せて使えば楽しい道具にもなります。トップページの写真は、私が撮った写真で、耕作させていただいている女影の田んぼから眺めた初夏の田園風景です。鳥の目で眺めてみましょう。女影の田園地帯の中心部が示され、地上の風景が鳥瞰され、下界とは違った思考の芽が出てきます。

 ところで、映っている麦は田んぼに初めて播いた小麦です。私はこの女影の風景が好きで、田んぼでの仕事をこよなく愛しています。写真は、下小畔川から反対方向を撮ったもので、地図の真ん中辺にある橙色の目印が、ほぼ写真撮影の場所です。写真をダブルクリックしていけば田んぼが大きく出てきます。
 畑や田んぼや里山での四季折々の景色や日高の心に留まった風景を、トップページの写真としてグーグル地図とリンクさせながら時々入れ替えていくつもりです。画面制作上の制約から画質は落ちてしまうのですが、「日高の風」を少しでも感じていただければ幸いです。
 まだ作成技術が伴っていないので、不都合があるかもしれませんが、私のブログに今後ともアクセスしていただき、ご批判・ご批評をいただければ幸いです。