落選の弁2

最初から私は、1期か2期で辞めるつもりでした。
そのために、行政側をしっかりと質すために、自分の発言・意見を的を得たものにするために、
1年目から猛烈に勉強しました。2期やるとしても、
1年目の研鑽の成果をもとに、多少は実のある議論を経て終えればいいと考えていました。
それが議員の仕事と責任に対する当然の任務であると同時に、
もう一つ意識したことは、役所の職員とある程度、対等に話せるだけの基盤をもっているべき、と考えたことです。
そうすることが、行政に対する一番正しい対処であり、かつ礼儀であろうと。
個々の政策や意見の可否もさることながら、是々非々の前提である知識基盤とそれをもとにする政治的直感の涵養です。
上っ面をなでただけの地方自治や市政の知識は多少はありましたが、
実際に、施策や個々の事業の内容、そして何よりも数字的裏付けをもった議論をしようとするとお手上げの難しさです。
意見ばかりが先立つことは避け、経緯を踏まえた共通基盤で議論しますよ、
ということを示すためには、とにかく調査・研究の努力しかない。
もう一つ。もし情報開示等の、行政の上から目線があったとしたら、正攻法で正していこうと決意した。
ということで、とにかく、市政の解析の難しさを常に感じながら4年間過ぎてしまった、という思いです。
この考え方の下、定例会の事後整理と準備に明け暮れ、ほとんど後援会組織を念頭に置いていませんでした。
他に、自分の前記したような考え方、行動が、住民に伝わらず、議員活動の日常に欠陥があったと言わざるをえません。
市政報告は、文章ばかりで誰も読まない、と何度も言われてきました。
それはそうだな、と思いながらも、これは最後まで変えませんでした。
選挙運動期間中に、演説をやっていると、あなたの市政報告はいつも読んでいる、支持する、という声も何回か聞きました。
バス停で待っている人から、毎回読んでいるよ、と話しかけられたことも。
落選の原因は本当の所、私の感じる2つの原因以外にも、複合的にいろいろあると思います。
しかし、様々な選択要因、例えば役職の回数や地域の候補そして性別などの理由ではなく、
「横山秀男」を確信をもって選んでくれた有権者が664人。
私の考え、主張がよく届いたという思いです。
霞ヶ関のキャリア官僚は、国民生活を背負っているという自覚・矜恃と
出世競争に勝ち抜くため、国会議員に侮られない識見と事務能力を磨くため、」
“死ぬほど勉強する”と2回ほど、全国市町村国際文化研究所(総務省管轄の機関)の研修で聞いたことがあります。
「」内は、私の推測の理由です。かれらの勤勉さ、優秀さの源泉を知りました。
私はとても“死ぬほど勉強した”とは全くいえませんが、
4年間、税金からの報酬でこんなに勉強させていただいた、という感謝の思いでいっぱいです。
議員の身分を失って、何か重しのようなものが身体から抜けていくのを感じました。
今後、自由な一市民の立場から、4年間に得た経験や知識を活用できる機会があると思います。
これからが私の真骨頂と自分に言い聞かせています。


自然農業の趙漢珪先生は、農民は政治(社会活動も含め)に関わるべからず、と言ったのを覚えています。
自然を、作物を、徹底して観察せよ、と言い、私たち個人の行動に注文を付けた唯一の言葉だった。
それも、正式な場でいったのではなく呟いたのを私が覚えていたのです。
結局、その観察から自ずと個人の考え、思想が出て来るということで、
逆ではないということだと私は解釈しました。
趙漢珪先生自身は、韓国の国会議員になるチャンスもあったというが、
一切の肩書きも名乗らず、一農民として自然農業の実践と啓蒙に尽くした。
しかし、私は政治では無いが社会活動やボランティアに関わっていきたいと思っています。
自然農業の手法、考えが極めて有効であると思うからです。
趙漢珪先生の「観察」によって、私なりの工夫・創意を加えたいということです。


ここしばらく出番のなかったモアを引っぱりだし、整備をしました。
異音がでるのが気になっていたので、必要箇所を分解し入念に注油。
整備後、エンジンは一発始動、快調な稼働です。
エンジン音が山際の畑に響き渡って、私の落選状態の心身も一発リセットされました。
畑やヤマの微生物や有象無象の生き物が呼ぶ声を感じます。