2人の“帰農者”が気付いたこと

 チップ埋立てで悪水が出て今年の田んぼをどうするか、お二人の方と農道や畔で立ち話をしたことがありました。お2人とも退職して日が浅いか退職寸前です。
 今まで草を生やして管理していた田んぼを再開。元は農家ですから“帰農”です。取りあえず草田んぼを耕すことは出来ます。問題はその後、農家と言っても本人は長年のお勤め人生、栽培については心許ありません。
 そこで農林振興センターに聞いてみました。肥料のやり方や防除など資材の使い方が中心でしたが、3年は半作を覚悟しなければ、と言われたそうです。
 それほど、耕作放棄地や草だらけの田んぼに対する根拠の無い偏見と悪いイメージが、農業の専門機関ですら染みついてしまっているのです。そして、農薬と肥料ほか資材をたくさん使う農業から未だに抜け出せない、農業振興センターはそれほど遅れています。
 草だらけの田んぼは収穫が少ない、これは私に言わせれば完全に間違い。初年度から大豊作になります。結果は、実際に大豊作でした。そして、自然にまかせよ、という横山の言うとおりだと。2人とも、私が無農薬・無肥料のコメづくりをやっていることは、実際に見たり地区の人の話や噂で知っていました。特になにもやらなくても、半作どころか豊作になることは実証されました。いかに自然の生産能力が大きいか、動植物によるメカニズムはキチンと説明できます。
 この実感は貴重な体験です。やってみないと分からない、獲得できない実感です。自然の力は偉大なんだという理屈ではない実感。ここのところが、本当に理解されていない。
 税金を大量に投入して維持されている公の農業機関は有機農業に関しては後れています。有機農業や自然循環と栽培との関係についての知見や情報はほとんど持っていないと言っていい。分析による数値で説明することで専門家としての体面を維持することが主眼となっています。肥料と農薬等の資材を投入し自然を管理・コントロールする農業の発想とやり方を後生大事に持ち続けている。
 この公の考えとやり方が農協の資材販売ビジネスと結びつけば、どんな状況になるか。自分の工夫と考えで動かない農家は、資材購入の負担で苦しくなるだけです。戦後長きにわたって浸透してきた農協農業も、有機農業振興の法律や情報の浸透によって僅かだが変わりつつあります。
 時代を読む指導者の存在で、いち早く地域全体として代わろうとしているところ、同志を募って地域で変わろうとしているところ、日本全国まだら模様です。消費と物理的に遠い過疎地域ほど、生き残りをかけて食と農業の理想を掲げて一歩先を行く例が多い。
 しかし、東京近郊でそれをやり遂げた地域が出てきました。小川町です。
 あれよあれよと言う間に、いまや全国で最も有名な有機農業地域になってしまいました。いろいろな不協和音があり私の耳にも聞こえてきますが、ここに至るまでに、個人の、地域の、NPOの、自治体の経験の積み重ねと協力がありました。根底にあるのは実感と理解の共有です。情報が発信され人が集まってきています。
 小川町の友人、有機農業専業農家であるY氏。彼もこの流れの中心にいます。作ったものは全部売れる、足らない、という良好な状況。当然うまい、彼の作る小麦から自家生産したうどんのうまさは格別だ。 
 日高市はどうなんだろう。大規模化と農地集約、北海道と同じことを言っています。国や県の言う通りのことで、自分の地域の特長を活かした地域の判断が乏しい。
 市民農園を積極的に設けようとしていることは大変いいことだと思うが、対極の大規模化と農地集約。新規就農は推進とは言いながらも実態は冷淡です。県の言うなりにならず、農協路線100パーセントではない複数の選択肢を考えるべきだと思う。食の問題に関わることであり、市民の要望も歴然としてあります。
 副市長は3代続いた県からの出向ではなく、職員生え抜きの方がなりました。いろいろ問題は指摘されますが、一つの転機とはなるでしょう。産業振興課長も、何代も県からの派遣人事です。複雑な農政対策としての必要性や企業誘致のための農振地域変更の対策など、必要性があってのことかもしれません。
 しかし、もうここら辺で複線の発想をする方向を考えるべきだと思います。県には別の選択肢もラインアップされています。要は、自前の人材の育成と地域に適した自前の発想に基づく選択能力です。