昆虫記


 ある日の夜、NHKで何という番組だったか分かりませんが、ファーブルの昆虫記を放送していました。
 写真は番組終了時のタイトル画面です。タイトルは『ファーブル昆虫記〜南仏・愛しき小宇宙』。主人公は、昆虫記第1巻に登場するフンコロガシと仏文学者にして昆虫作家の奥本大三郎氏です。
 番組は、奥本氏が南フランスの野原でフンコロガシを見つけ、ファーブル昆虫記に書かれた生態観察を交えながら感想を話すという趣向です。ファーブル、フンコロガシ、南仏の自然となったら見たくなります。寝ようと思って消そうとしたTVですが、そのまま見てしまいました。
 私がここで書こうと思ったのは小さな偶然が目の前にころがっていたからです。
 数日前に納屋を整理した妻が、軒下に沢山の本を出しました。いずれは処分をと思っていた古い本ばかりでしたが、その中に『きだみのる自選集』全4巻がありました。これは私の愛読書、大事な本です。こんな大事な本を粗末に扱われてはたまらんと、4冊を抜き出してテレビの近くに積んでおきました。
 『昆虫記』の放送を見てこれはいい偶然だと思い、咄嗟に思いついて近くにあった『きだみのる自選集』2冊を掴んでテレビの前に置きました。それが冒頭の写真です。
 何が偶然か。「きだみのる」は岩波文庫の『昆虫記』の翻訳者です。昭和6年から林達夫との共訳で全20冊を出版しました。昆虫記の翻訳者名は「山田吉彦」となっていますが、これは「きだみのる」の本名。翻訳を本名の「山田吉彦」で行い、小説などは「きだみのる」で書きました。

 昆虫記関連の本は岩波新書や少年文庫にも書いているが、そういう本には、きだみのると同一人物であることは書かれていないので、岩波の本を読んだ人でも「きだみのる」を知らない人もいます。
 一方、「きだみのる」で出版した『きだみのる自選集』の著者紹介には、『昆虫記』の訳者であることは一言も触れていない。昆虫記以外にも多くの翻訳がありますが、いずれも本名の山田吉彦です。
 西洋の知的成果の日本語への正確な変換と、日本人としての創造の世界、この二つを厳密に区分する美学があったに違いない。あるいは徹底して別人格として独立させ、2人の人間として生きる――多分、こっちかもしれない。
 私が持っている岩波版の『昆虫記』は昭和36年出版。全20冊揃っています。これは神田の古書店で買ったものだと思う。奥本大三郎氏の新訳は分かり易く現代人にいいが、岩波版も漢字が多いだけで日本語の世界に完全に消化されていて何ら違和感はありません。全20巻、約30年かかって翻訳が完成した。
 奥本氏の新訳については、版元の集英社のHPを見るといい。昆虫記の全体像が簡単に分かります(http://www.shueisha.co.jp/fabre/)。
 『昆虫記』には当然、訳者について何も書かれていないので、私が同一人物と知ったのはいつだったか。もう忘れてしまったが、多分、共訳者の林達夫の文章だと思う。昭和46年に出版された『林達夫著作集』の第4巻に、ファーブルの伝記を書くことに関する文章の中で書かれています。
 『きだみのる自選集』に著者紹介がある。
 1895年鹿児島に生まれ、慶応大学を中退してフランスに渡りパリ大学社会学を学んだ。帰国後アテネフランセでフランス語、ギリシャ語を教えた。第二次大戦時から奥多摩陣馬山中の村の廃寺に住み着き、評論や小説などを発表。旅行家としても世界各地に足跡を残した。農村を研究する農村問題研究所の設立を計画。
 昭和46年に出版された『きだみのる自選集』も神田の古書店で4冊いっしょうに買いました。第1巻に収録された『気違い部落の青春』、小説の形式をとってはいますが著者の実生活を基にしたノンフィクション的な代表作品です。
 著者自身を描いた外国語を操る外界の象徴としてのインテリが関わる日本の農山村の仕組みと人々。山の生活を好みながらも閉ざされた世界から外の世界に目覚める山で育った主人公。山の中学生の青春と彼に作用するインテリの知識の触媒作用。
 昆虫記を翻訳した日本語と社会学者としての観察の眼が一体となってこんなに面白い世界を描写できるのだと、私はすっかり感心してしまいました。もともと遊びの中での実証的世界を好む傾向があったので、理屈よりも山の中での生活と人々を描く作品が、私の性に合ったようです。
 社会であれ自然であれ事実を正確に観察する眼を養うことと、そのための道具建てであるいろいろな知識を漁る面白さ。昆虫記から始まった私の読書は、その後昭和40年代半ばからこんな方向を求め、昆虫記共訳者の林達夫加藤周一が書くものからの刺激を楽しむ時間がしばらく続きました。