SNSにどう付き合うか

 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)
「波は起こせても解決せず」東京大学教授 佐藤俊樹
「双方向で本音聞きたい」自民党衆議院議員 加藤紘一
「使わぬ地方の首長は淘汰」佐賀県武雄市長 樋渡啓祐
 ツイッターを使いこなす中学生の来訪のことを書いたが、その数日後に、朝日新聞に「政治とSNS」という特集記事が出ました。3つの表題と名前は、その特集記事に取り上げられた人の発言の見出しです。ツイッターフェイスブックのことで、身近な出来事があったので非常に興味深く読みました。
 私は両方とも登録はしていますが、使った事はありません。今のところ使う必要性はそれほど感じていないし、それに時間を使うほどの余裕もない。とは言いながら、実際は使い方が分からないだけです。いつだったか、フェイスブックにログインしてみたら驚いた。
 友達を検索、という画面が出てスクロールしていったら、「知り合いかも?」というタイトルの下に、大勢の人物リストが写真付きで出てきました。知っている人がたくさん含まれているが、知らない人も多い。
 これにはビックリした。親戚、友人ほか、仕事関係、議会関係、少し御無沙汰をしている人、非常にご無沙汰している人、不義理をした人、かつて名刺を交わした人、とにかくいろいろな人のリストが出てきた。
 というと、不特定多数の大勢の人の同じ画面にも私の名前が出ていることになる? 「知り合いかも?」の「かも?」というのは、何を根拠にしているのだろうか。この“芋づるリスト”をつなぐ情報は何だろうか、と便利を通り越して恐ろしいなぁ、というのが偽らざる実感です。
 リスト中で、NTTの役員を務めた人が最初に出てきていました。この方はしばらくご無沙汰しているが親しくお付き合いをした方です。文章もうまいし仕事柄ITを使いこなしながら行動する方で、その柔軟な発想と専門知識にはいつも敬服していました。やはりフェイスブックを縦横に使いこなしている。いつ外国に行きいつ東北に行ったとか、行動の軌跡も分かります。
 私と同じ年の、娘の相方の父親が出てきたのにも驚いた。ボランティア活動のHPを自分で作ってしまうくらいだからこういう方面の才能豊かなのかもしれない、と少し羨望の思いを抱く。
 さて新聞の「政治とSNS」です。
 佐藤氏は、ツイッターの利点を発揮させる「強くて短い言葉」を発信し波を起こさせると同時に、波だけでは解決できない課題に目を向けさせる、この二つを同時にできる人がツイッターを本当に活用できる政治家だとしている。橋本大阪市長にその可能性を見ているが、一方で140字で政治の課題が解決できるはずがないとも言う。
 新聞記事だかテレビの場面だか忘れたが、内容だけははっきりと覚えていることがあります。橋本氏の政策ブレーンの発言。「(橋本氏は)いつ寝ているんだか分からないくらい、とにかく膨大な量を送ってくる」。それを裏方が政策にまとめ、表では自身がツイッターで発信する。140字のブログも、集客力があるビッグネームが効果的に利用すると威力が出るようだ。
 武雄市長の「使わぬ地方の首長は淘汰」。
 市役所のHPを全部フェイスブックに移し、390人の職員全員をフェイスブックに登録、フェイスブック・シティ課もつくるという徹底ぶり。これによって情報を発信し共有を行い、「無味乾燥な行政を顔が見えるようになった」という。
 さらに「SNSを使えない地方の政治家は、まず間違いなく淘汰されていくでしょう」「SNSをやらない地方政治家はどうやって有権者に近づき、どうやって意見を聞くというのでしょう」。
 この市長にしてこの主張あり、という感じです。樋渡市長は元総務省の官僚で、平成18年、38歳で当時の全国最年少首長として市長に当選、「日本を変える100人」にも選ばれました。発想、アイディア豊富で人脈も情報も有り余るほど。伝えたいこと理解してほしいことが充満、個性豊かな自分を前面に押し出し、自分が動くこと全てが情報発信のような人です。
 そういう意味では、橋本市長も同じです。橋本氏はツイッター。樋渡氏はフェイスブック。2人とも発信して伝えたくて仕方がない情報がある。こういう方には、間違いなくいずれもピッタリの手段なんでしょう。間違いなく不特定多数と直接接する手段であることは分かります。
 しかし、まだいずれの手段にも近づいてもいないし、―地方議会議員としての私には、別の使い方があるんだろうな、と思います。制度と予算の中に埋め込まれて動かない地方の惰性をほじくり返す仕事がまず第一。これなくして発信も何も無い。それをどう説明し共感を得ていくか。こっちの方が大事だと思う。
 インターネット大衆化前夜の「乱」を経験した、自民党加藤衆院議員は「双方向で本音聞きたい」。