武蔵横手神社




 水辺再生事業完成記念式に早く着きすぎてしまったので、神社にまずお参りをしてから、ぐるっと回って見分しました。ぐるっと、と言っても小さな社なので3度回って見ました。いつも遠くから眺めていただけなのでいい機会です。 
 870年にできた武蔵横手神社。その時は八幡神社といったが、その後諏訪大明神と名前を変え、明治元年、1868年には武蔵横手神社となりました(案内板より)。
 会場となった境内の端に参道があります。神社前の階段まで続く参道と神社の周囲は砂地で、箒で掃き清められています。そこを歩いて足跡がついてしまったので、思わず後ずさってしまったのですが、思い直して足跡をつけながら歩かせていただきました。
 本当の神殿は裏にあります。全体を屋根つきの檻(おり)で囲っているのでよく見えません。そこで、よじ登って写真を撮り本当の神社本体を拝みました。堅固な造りで彫り物の装飾が施されています。貴重な建物故、檻で囲っているのかもしれません。
 神社の壁に掲示されている「横手の三義人公徳記」。江戸城無血開城の後、上野の山で彰義隊が東征軍に敗れたのを機に飯能まで逃れてきた一派が、能仁寺で闘って敗れ山中に逃れました。彼らをかくまって逃走を手助けした事情が書かれています。
 これについては何かで読んだこともあり、初めて知ることではありませんが、帰ってから書かれていることを確認してみました。この時の飯能から横手周辺の騒動については、『日高市史』にも詳しく書かれており、明治維新前夜の空気が読み取れます。