興味を引いた3冊


 佐倉市の歴史博物館の資料売り場で購入したパンフレット3点。
 『宮沢賢治と遠野』
『広告・宣伝の文化史』
『渡来人』
 各県にある博物館が企画展示した時の出品カタログや説明パンフレットです。大変な量でとても見切れない。パッと見てタイトルが目に入って手が動き、手に取って中身をぱらっと見て気に入ったものを買いました。
 大体、お役所かそれに準じる機関が発行した資料で、本来は非売品。そこに頒価を付けたものです。各資料は展示品説明ですから実物をありのままに見せる必要があり、ほとんどカラーです。これらの豪華資料、1000円以下が多い。商業出版ではとてもこの値段ではできません。関心にピッタリ合った資料があると、得した感じがします。
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 『宮沢賢治と遠野』。遠野市立博物館、2006(平成18)年。
 宮沢賢治の本は沢山出版されており、手紙についても詳しく触れられているものがありますが、手紙の実物をこれだけ掲げている本はなかなかありません。
 言葉による評論よりも、作家の肉体と知性を、見る人がそれぞれに解釈でき想像できる資料は、賢治の読者にはありがたいものだと思います。全ページ写真で構成されるたった40ページの薄いものですが、第2版が奥付に記されていることから求める人も多いと思います。

 『広告・宣伝の文化史』高松市歴史資料館、2004(平成16)年。
 オールカラーの見ごたえある資料です。明治から戦後すぐの時期までのポスター、パンフレット等広告宣伝物がレベルの高いカラー印刷で再現されています。昔の作品の方が、人間の面白がる楽しがる精神を高揚させるような感じがします。やはり頭と手から絞り出されたものが、私たちのエネルギーに働きかけるのだろうか。
 『渡来人』岡山県津山市郷土博物館、2003(平成15)年。
 畿内周辺に、百済の亡命民が多く移り住んだことは定説です。この資料はその一つの地である岡山県津山市が、広く関西から中国に分布する亡命民関係の発掘物を展示した時の資料です。56ページの資料に葬祭品や道具が畿内移民と関連付けられて簡潔にまとめられています。
 畿内周辺に住んだ百済の移民はその後、666年、一部である2000余人が東国に移されたのです。「668年には高句麗もまた滅び去った。2年前に来朝した若光らは帰国する機会を失い、そのまま日本に移住することになったが、高麗氏の古系図が示す通り、この若光こそは武蔵国高麗郡への移住たちの祖であった」(『日高市史』100ページ)。
 いま日高市では「高麗郡建郡1300年プロジェクト」が進められています。日高市の総合計画(平成23〜32年<2011〜20210>年度)の戦略プロジェクトの第1位に掲げられ、平成28(2016)年度までに、毎年日高市の予算が投じられ、観光を主目的とした事業が展開されていきます。
 どんな事業が行われるのか、市民と関係者が知恵を集めて相談されることでしょう。ところで、『日高市史』には、この高麗の建郡に関しては14ページくらいしか割かれていません。図版も、沢山の発掘物があると思うのですが一部です。私の乏しい知識からのヒントですが、少ない記述から建郡に関わるキーワードがあるような気がします。